長野県観光部 原一樹さん|未組織登山者の遭難対策に山のグレーディングでアプローチ

長野県観光部 原一樹さん 山歩のひと
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フリーペーパー『山歩みち』2016年春 022号掲載

※この記事はフリーペーパー『山歩みち』に掲載されたものに一部加筆、修正を加えたものです。基本的には取材時の内容となっておりますので予めご了承ください。

Profile ※2016年時点

はら・かずき 1953年、長野県生まれ。長野県教育委員会事務局スポーツ課長を経て、2013年4月より長野県観光部山岳高原観光課に配属。「信州山のグレーディング」の策定に尽力する。2016年4月より信州・長野県観光協会事務局長に就任。

一件でも多く、遭難を減らしたい。その思いから生まれた信州 山のグレーディング。一枚のマトリックスが生まれるまでの物語。

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力量以上の登山が遭難を誘発する

――この数年、なぜ長野県は遭難対策に力を入れるようになったのですか。

原:平成21年から25年にかけて、年間遭難件数が右肩で上がり続けたこと。その水準は20年前と比べて3倍であること。そして平成25年7月、宝剣岳で起きた韓国人パーティ20人の遭難事故をきっかけに、長野県としてそれまで以上に遭難対策に取り組む必要が生じたからです。

――遭難件数が増えたのは、登山人口の増加が理由ですか。

原:それだけではないと思います。平成21年と25年を比較すると、長野県の年間登山者数は右肩上がりで52万人から73万人と1・4倍に増加。一方、遭難件数は173件から300件と1・7倍になりました。つまり、登山人口の増加率よりも遭難件数の増加率のほうが高いのです。

加えてその約6割が晴天時に発生、原因の半数は転滑落。これらのことから、登山者の増加だけでなく、登山者の技術や体力が充分でない、つまり力量以上の山に登るため、遭難が増えていると考えたのです。

人為的要素でない山の固有値に着目する

――平成23年、県遭対協(※1)・防止対策部長に就任。まず手がけたことはなんですか。

原:それまでは日本山岳協会や東京都山岳連盟等に文書を出して、注意喚起をしていました。しかし、それだけでは全く不十分です。理由はそれらの団体に所属する登山者は全体の1、2 割で、大多数はいわゆる未組織登山者だからです。こうした未組織登山者に、どうアプローチしていくのかを考えました。

※1│長野県山岳遭難防止対策協議会。

――そのアプローチとは。

原:まず、遭対協にはキャラクターが必要だと思いました。もちろん、未組織登山者にも響く、都合のよいキャラクターはすぐには思いつきません。けれど、平成24年夏、涸沢ヒュッテの談話室でまんが『岳』を手にしたとき、直感しました。主人公である島崎三歩なら、未組織登山者にもインパクトをもってメッセージを伝えられるのではないか。下山後、作者の石塚さんに連絡をとり、ご快諾いただき、現在に至っています。

――未組織登山者の実像とは。

原:ひとことで「未組織登山者」としましたが、初心者登山者が多いというくらいで、実際のところなにもわかっていませんでした。そこで平成年夏、安全登山をPRするための資料を手に、北アルプス・横尾に向かいました。休憩する登山者に声をかけ、1日約150人、週末にわたって説明したのです。

そこで感じた未組織登山者とは幅広い年齢層の初心者。山登りのきっかけは富士山が多く、装備は揃えたて。登山2、3回目で横尾を経由し、涸沢・穂高連峰や槍ヶ岳をめざすひとたちでした。槍や穂高をめざすのは、雑誌や画像でみたことが理由。

衝撃だったのは彼らの意識でした。「この山域では毎年100人近い人が遭難しています」と説明するとヤベッと返事。「今あなたは水道も道路も病院もない、なにかあっても救急車が来れないヤバいところに行くのですよ」ということから説明しなければなりませんでした。体力が不足しているとか技術がないとかの以前の、そもそも山とは生命の危険があるリスキーなところだという認識が乏しかったのです。

――そこで、山のグレーディングが生まれるのですね。

原:街では当然の社会基盤とライフラインは山にはない。未組織登山者にまず啓発したのは、社会の当たり前が山にはないことです。そこを出発点に山のランキングではない、山のグレーディングが生まれました。

ちょうどその頃、2つのことが重なりました。ひとつは長野県警山岳救助隊の岸本さんが見せてくれた外国人向けの登山パンフレット。そこには槍・穂高連峰の技術度と体力度がわかりやすく示してありました。

もうひとつは、長野県山岳総合センターの杉田所長からの情報。体力度を指標化するためには、ルート定数(※2)という概念が有効ということ。平成25年10月、この2つの事項を基に、杉田所長とともに山のグレーディングは策定に向けて動き出したのです。

体力度は、そのルートの固有の標高差やコースタイムなどから計算したルート定数をもとに評価し、技術的難易度は地形そのものやハシゴ・鎖場の設置状況から定義づけし、各地区の遭対協に評価を依頼しました。

山はそこまで単純化できない等の指摘はありましたが、初心者にとっては山選びの目安となるし、経験者にとっては対象の山を客観的に把握することができると思います。今では、この評価方法を採用する自治体は5県(※3)に達し、ゆくゆくはここに登山者自身の力量を当て込める仕組み作りもしたいですね。

※2│鹿屋体育大学・山本正嘉教授の研究成果。『山歩みち』21号参照。

※3│長野県、山梨県、静岡県、新潟県、岐阜県の5県。現在、群馬県も検討中。

長野県観光部 原一樹さん
防止対策部長に就任当初、周囲からは「できっこない」と一笑されたが、逆にその言葉でやる気が湧いたという

ひとも自然循環の一部

――山の日(※4)について。

原:私は、山頂で圧倒的な自然を眺めていると、自分も自然循環の一部であり、自然の恵みによって生かされていることを感じます。その意識から出発すれば、地球温暖化についてもっと真剣に行動しようということに結びつきますし、自ずと環境保全へと考えは広がります。山の日が、山に行くことで感じる自分という人間の本質や自然の恵みについて考えるきっかけになればよいと思っています。

※4│2016年8月11日から施行される国民の祝日「山の日」。第一回山の日記念全国大会は、8月11日、上高地にて開催される。

長野県観光部 原一樹さん 横尾避難小屋前にある、地図看板の前で
登山者に解説中の原さん。横尾避難小屋前にある、地図看板の前で

取材・文=木村和也


参考)山のグレーディングについて

2014年に長野県で山のグレーディングが策定されて以降、共同基準のもとにグレーディングの取り組みは他県にも広がっています。まずはこれまでに行ったことのある山をグレーディング表で確認して、その時の状況と自分がどう感じたか(季節、天候、年齢、体力的な余裕など)を振り返れば、自分の力量を客観的に導き出すことができます。但し過去の経験はあくまで過去のものなので、そのブランクを認識しながら、一度確認してみてはいかがでしょうか。

※ちなみに東京の高尾山は「体力度2・難易度A」です(体力度は1→10高、難易度はA→E難)

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