フリーペーパー『山歩みち』2015年春 019号掲載
※この記事はフリーペーパー『山歩みち』に掲載されたものに一部加筆、修正を加えたものです。基本的には取材時の内容となっておりますので予めご了承ください。
Profile ※2015年時点
こんどう・けんじ 1962年、東京生まれ。20代の頃より登山家・医師の今井通子オフィスに在籍し、山岳ガイドの仕事を始める。1998年、アドベンチャーガイズを設立。日本人では数少ない国際山岳ガイドの資格を持ち、これまで多くの人々をヒマラヤやアルプスなどに誘ってきた。
ヒマラヤの8000m峰に登りたい──。そんな途方もない夢を実現してくれるのが、日本人専門のヒマラヤ公募登山隊を組織するアドベンチャーガイズであり、その代表を務める〝けんけん〟こと、近藤謙司さんだ。同社が日本で初めて公募登山隊を企画したのは02年。その道のりは決して平たんではなかった…。
批判もあった日本での公募登山隊
――今春のアドベンチャーガイズ(以下、AG)のエベレスト公募登山隊(※1)には何名の方が参加するんですか。
近藤:今回初めて参加する方が5人。そこに、昨年アイスフォールの崩落事故(※2)で登れなかった富士山登頂回数日本一の実川欣伸さんとタレントのなすびさん、隣のローツェ(※3)にチャレンジする1名が加わり、隊員はトータルで8名になります。最高齢が実川さんで71歳、最年少は19歳の大学生です。
※1│登山者を募集し、エベレストなどの高峰に挑む登山隊のこと。商業公募隊、コマーシャルエクスペディションともいう。
※2│2014年4月、ネパール人16名の命を奪ったエベレスト登山史上最大の雪崩事故。その影響で、ネパール側の登山隊は軒並み中止となった。
※3│エベレストの隣にそびえる、標高8516m、世界4位の高峰。
――それは伊藤伴くん(※4)ですか。
近藤:伴くんとは縁あって小学生のときから一緒に登っていて、箱根の乙女峠から始まって、モンブランやロブチェピークでも僕がガイドをしているんです。出会ったころは頼りない男の子だったのに、ついにエベレストに挑戦することになって…親のような気持ちでいる僕としては、彼とエベレストに登れるのがすごく楽しみですね。
※4│伴くんとのエピソードは、近藤さんの著書『エベレスト、登れます。』や『ぼくは冒険案内人』に詳しい。
――ほかにはどんな方が?
近藤:会社勤めの人やプロのカメラマンなど、みなさん普通の方ですよ。10年ほど前は、日本でそれなりに登っていて、海外でも6000m峰登山や外国の公募隊の経験がすでにあるような、コアな人たちが多かったんです。最近はより一般の方が参加してくれるようになりました。
――AGが日本で初めて8000m峰の公募登山隊を組織したのが02年。そのときは風当たりもきつかったと聞いていますが。
近藤:「神聖なヒマラヤの頂にガイドがお客を連れていくのはいかがなものか」などと言われました。完全なる「異端児」扱いでしたね。でも、僕としては、ヨーロッパアルプスではガイドをしているのに、「なんでヒマラヤはダメなんだ!?」という思いがあったし、それになによりお客さんが「行きたい」と言ってくれていたことが大きかった。
AGの高所登山は南米の6000m峰から始まって、そのなかから「私たちでも8000m峰に登れるかしら」という話が出てきたんです。彼らのような従来の山岳組織に属していない登山者が8000m峰登山という〝夢〞を実現するには、公募登山隊しかない。そんな確信があったからこそ、批判を受けても、揺るがなかったんです。
ヒマラヤを、限られた人たちだけの特別な場所ではなく、普通の人たちが「登りたい」と夢見て、挑戦できる山にしたい。そのために、公募登山隊は存在しているんです。
10年以上かけてたどり着いた場所
――公募登山隊を率いるうえで、気を遣っていることはありますか。
近藤:公募隊に限らないんですけど、僕は「演出家」でありたいと思っています。どんな山でも、きれいな景色を眺めたり、登頂できれば、お客さんは感動してくれます。僕はその感動を10倍にも、100倍にもしたい。
たとえば、ヨーロッパでガイドをしていると、「この峠に近づくとモンブランが見えてくる」って場所があります。そこへ登るとき、はじめはわざと「向こうの山、キレイですね〜」と言いながらほかの方角にお客さんの気を逸らすんです。そして、ここぞというタイミングを見計らい、「あちらを見てください!」と最高のモンブランと対峙してもらう。そうすることで鳥肌が立つような山との出会いを経験できて、みなさん「すごい!」「きれい!」って最高に盛り上がってくれるんです。
僕はもともと人を感動させたり、喜ばせたりするのが大好きで。ガイドとして、とにかく「お客さんに山を好きになってもらいたい」、その一心なんです。
――13年にエベレストとローツェを登ったあと、「参加してくれたみなさんに『ありがとう』って言葉しかありません」と著書のなかで書いていますよね。
近藤:お客さんにはいつも感謝の気持ちがあるんです。しっかり歩いてくれて「ありがとう」、無事に下山してきてくれて「ありがとう」と。
それにお客さん一人ひとりには「なぜその山に登ろうと思ったのか」というその人なりのドラマがあり、ガイドはそのドラマをもっとも身近で見せてもらえるんです。そこには一本の映画を見るぐらいの感動があって。
クライマーとして登った山にも感動はありましたが、ガイドとして登る山はお客さんがいるおかげで感動が2倍にも3倍にもなる。そんなステキな体験をさせてもらえるんだから、感謝しかないですよ。
――昨年の夏にはAG初のパキスタンでの公募登山隊を組織して、ガッシャブルムⅡ峰(※5)に7名が登頂しています。
近藤:AGを作ってから15年以上、僕は毎年の夏はヨーロッパアルプスでガイドをしてきました。夏にパキスタンで公募隊を組むことは、そのアルプスでの仕事を手放すことを意味します。それは会社の経営的にはきびしいんですけど、わがままを聞いてもらったんです。肉体的にも精神的にも負担のかかるヒマラヤでのガイドができるのは、あと10年ぐらい。となると、そろそろパキスタンにも行っておかないと間に合わなくなるかなと。
将来的にはK2にも行きたいと思っています。パキスタンでの公募隊を成功させることができて、AGは新たなステージを作ることができたし、やっと世界の主要なコマーシャルエクスペディションの会社に追いつくことができたんです。
※5│中国とパキスタンの国境にそびえる。標高8035m。近くに世界第2位のK2(8611m)もある。
――02年の初の公募隊から13年。たしかに「やっと」ですね。
近藤:ここまでできたのも、「登りたい」という人たちがいてくれたからこそだと思います。その意味でも、やはりお客さんには感謝し、心から「ありがとう」と言いたいですね。
写真=田中由起子 取材・文=谷山宏典
あわせて読みたい!近藤謙司さんについての1冊
近藤さんの生い立ちから、エベレストのガイドをするようになるまでの自叙伝。文章も本人の語り口調で書かれていて、えっ、こんな感じの人なんだ!と驚く方も多いはず。エベレストに一般登山者を連れて行くなんて普通は考えられなかったことを、批判にも負けずに実現し、まだまだこの先の夢もある近藤さん。
実際に登頂した方々が、本の中で近藤さんのことを「いい加減」だとか「ノリが軽い」だとか愛情たっぷりに語っているのも面白いのですが、それは絶大なる信頼感があるからこそ。この本でその人柄と熱い想いに触れると、もしかして私も頑張れば登れるのかも、近藤さんなら連れて行ってくれるかも、という気持ちになってしまいます。