フリーペーパー『山歩みち』2013年春 011号掲載
※この記事はフリーペーパー『山歩みち』に掲載されたものに一部加筆、修正を加えたものです。基本的には取材時の内容となっておりますので予めご了承ください。
Profile ※2013年時点
はなたに・やすひろ 1976年兵庫県生まれ。公益社団法人日本山岳ガイド協会認定登攀ガイド。First Ascentを主宰してガイド業を営む一方で、クライマーとして世界の山々で先鋭的登山を実践。昨年秋、キャシャール南ピラーを初登攀し、ピオレドール2013にノミネートされた。公式HP
https://www.hanatani.net/
日本を代表するクライマーのひとりとして、海外の山々で輝かしい足跡を残す花谷泰広さん。彼には山岳ガイドとしての顔もあり、これまで多くの人々を山にいざなってきた。人と山をつなぐ――。ガイドとしての彼の話を聞き、そんな言葉がふと浮かんだ。
大切なのは「判断力」
――昨秋にキャシャールの南ピラー(※1)を初登攀されて、その登山によって今年のピオレドール(※2)にノミネートされました。今、すごく充実した時期なんじゃないですか。
花谷:たしかに今が一番楽しいかも。以前は追われているというか、おいてけぼりにされているというか、そんな気持ちが心のどこかにあって、焦っていたところもありました。でも今は、焦りがなくなって次の山のことを考えたりするのが楽しくてしょうがない。キャシャールに登れたことが、自分にはとてつもなく大きかった。あらためて、山の経験には計り知れない力があるなと実感しています。
※1:ネパールにそびえる標高6767mの高峰。南ピラーは多くのクライマーを退けてきた未踏の難ルートで、2012年11月に花谷さんら日本人パーティが初登攀した。
※2:1年間で最もすぐれたアルパインクライミングの記録を選考して顕彰する賞。フランス語で「黄金のピッケル」の意。登山界のアカデミー賞ともいわれる。このインタビューが行われたのち、花谷さんらキャシャールチームのピオレドール2013受賞が決定。
――キャシャールの話を伺いたいのはやまやまですが、今日は山岳ガイドの話を聞かせてください。花谷さんは個人ガイド(※3)がメインですよね。お客さんにはどんな方が?
花谷:年齢層は20代から70代までと幅広く、登山経験もさまざま。もっともコアな層は30代後半から40代の女性です。
※3:1名の山岳ガイドが、1名(多くても2名)のお客さんをガイドするスタイル。
――初心者の方はいますか。
花谷:最近は既存のお客さんとの登山で予定が埋まってしまい、新規の依頼を受けることがほとんどできていないんです。ただ、ガイドをはじめたばかりのころは、初心者の申込みは多かったですよ。
たとえば、ある女性のお客さんの場合、いきなりメールがきて、「槍・穂の縦走がしたい」と。話を聞くと、登山経験はほとんどなく、山がどんなところかもわからない、とのこと。そんな方にいきなり縦走は厳しいので、「まずは穂高を登ってみましょう」と提案し、一泊二日で上高地〜涸沢〜奥穂〜前穂〜上高地というルートを歩いてもらいました。下山後、フラフラになった彼女から「槍・穂の縦走ってもっとしんどいんですか?」と聞かれたので、正直に「だいぶきついですよ」とお答えしました(笑)。その方とはその後も冬の八ヶ岳をはじめ、多くの山行をご一緒しています。
――ガイド登山の魅力って?
花谷:……それは僕にはわかりません。お客さんに聞いてください(笑)。逆にデメリットならお答えできますけど。
――デメリットですか!?
花谷:登山でもっとも大事なのは、次々と目の前に現われる状況をどう判断するか、つまり「判断力」です。それは体力や技術よりも重要です。ガイド登山では、その一番大事な判断を、ガイドがまるで何事も起こっていないかのように事もなげにしてくれる。だから、お客さんは何も考えなくていいんです。むしろ、お客さんに考えさせるようなガイドはダメだと思います。
ただ、裏を返せば、ガイドと登っているかぎり、自分の判断力を試す機会はなく、養われることもない、ともいえます。ガイド登山を重ねれば、技術的に向上することはたしかです。だけど、山登りの本質的な部分において、その人が成長する貴重な機会を奪っているんじゃないかという葛藤は常にあります。実際、自分のお客さんにはそういう話をしています。
もし自分の登山をしたいんだったら、自分で山に行くしかない。そして山に入ったら、いろいろなものを見る癖をつけておいたほうがいい。一緒に登る人の様子もそうだし、地形や天候といったまわりの自然環境もそう。とにかく観察して、判断することが大切です。
お客さんの思いを汲み取る
――「ガイドに頼めば、登りたい山に連れて行ってもらえる」と考えている人は多いと思います。でも、山岳ガイドという存在にはそんな「登頂請負人」としての役割以上のなにかがあるのではないでしょうか。
花谷:お客さんの安全を確保し、頂上に登ってもらうのは、ガイドとして当然の仕事です。それに加えて、お客さんの気持ちに寄り添い、彼らが山に求めているものを得るための手助けをしたり、ありのままに山の空気を感じられるように見守ったりすることも、ガイドの役割だと僕は考えています。
そう考えるようになったきっかけって、振り返ると大学時代の経験にまでさかのぼるかもしれない。大学では野外教育を専攻していたんですけど、実はすごく違和感がありました。たとえば岩登りをするとき、インストラクターが参加者を上から引っ張って無理やり登らせて、「あなたは課題をクリアしました。よく頑張りました」と褒めてあげる。
それを見ていて、「なんか違うんじゃないか」「そんなのお芝居じゃないか」と感じてしまって。本来なら、こちらがいちいちお膳立てをしなくても、登れようが登れまいが、当人はその人なりにいろいろ感じるはず。そこはありのままでいいんじゃないのかと思ったんです。そのときの違和感が、今の自分に大きく影響しています。
ガイド登山において、主役はお客さんであり、彼らが山に求めているものって一人ひとり違います。ガイドはその思いを汲みとって、ガイディングしなくちゃいけない。ガイドの自己満足でガイドをしてはいけないと思うんです。そのためにも、僕はお客さんの行動や表情、所作などをよく観察することを心がけています。
たとえば、普段ガンガン登る人でも、今日は様子が違うなと察したら、ペースを落としたり、いつもとは異なる接し方をしてみたりする。人はそれぞれになにかを求めて山に登っているんだと思います。その気持ちを汲み取り、寄り添うようなガイドを僕はしたい。
縁あって僕というガイドを選んで山に来てくれたわけなので、一緒に山を登る、その共有している時間や空間を120%楽しんでもらいたい。僕がこだわっているのはそこですね。
写真=田渕睦深