登山家・冒険家/山岳コンサルタント ピーター・ヒラリーさん|登山は限界への挑戦

登山家・冒険家/山岳コンサルタント ピーター・ヒラリーさん 山歩のひと
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フリーペーパー『山歩みち』2014年夏 016号掲載

※この記事はフリーペーパー『山歩みち』に掲載されたものに一部加筆、修正を加えたものです。基本的には取材時の内容となっておりますので予めご了承ください。

Profile ※2014年時点

ピーター・ヒラリー 1954年、ニュージーランド生まれ。登山家・冒険家、山岳コンサルタント。エベレストには過去5回挑戦し、90年、02年の2度登頂。99年南極点に到達。08年にはセブンサミッツ登頂を達成。父の跡を継ぎ、シェルパの支援活動にも携わる。

映画『ビヨンド・ザ・エッジ』の公開を記念して、エベレスト初登頂者エドモンド・ヒラリー氏の長男、ピーター・ヒラリー氏が20年ぶりに来日。偉大なる父親のあとを追うように、登山や冒険に人生を捧げてきた彼に山への思い、父への思いを聞いた。

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今の自分があるのは冒険好きの父のおかげ

――エドモンド・ヒラリーさんは、エベレスト初登頂者であり、偉大な登山家のひとりです。息子さんの目から見て、お父様はどんな方でしたか。

ピーター:好奇心のかたまりのような人で、とにかく冒険好き。私も子供の頃からいろんなところに連れて行ってもらいました。ヒマラヤはもちろん、北極、オーストラリアの砂漠、ガンジス川の遡行やロッキー山脈での山スキー…挙げれば、キリがありません。

一番の思い出は、私が9歳のとき、ニュージーランドのサザンアルプスの未踏峰を登ったときのこと。父と友人のシェルパと私の3人で登ったのですが、ある場所で私が足を踏み外し、滑り落ちてしまったんです。でも、父とシェルパがロープを引っ張り上げてくれたおかげで、私はポーンと跳ね上がって、なんと元の位置にぴたっと着地できたんです(笑)。子供心に「お父さんとシェルパさんがいれば、怖いことはなにもない!」と自信満々に初登頂ができました。

――最高のお父さんですね。

ピーター:ええ、私もそう思います。

――ピーターさんはそんなお父様のもとで育ち、ご自身も登山家、冒険家に。エベレストにも2回登頂しています(※1)。

ピーター:どちらも父と同じサウス・コル経由の南東稜からです。山頂の手前には、ヒラリーステップという困難な岩と氷の壁がありますが、かつてここを父が乗り越えて行ったんだと思うと、ひときわ感慨深いものがありました。53年当時は未踏の誰も登ったことのない場所だったわけですから。

※1│1990年、2002年に南東稜から2度登頂。ほかに西稜や南稜などバリエーションルートにも挑戦している。

――山頂では、衛星電話でお父様とお話されたそうですね。そのときのお気持ちは?

ピーター:「ここは父が初登頂を果たした山だ。そして、今自分もそこに立つことができたんだ」と思うと、喜びや感動が生々しくあふれ出してきました。

エベレストの頂上には酸素が地上の3分の1しかないせいで、意識は朦朧として、感情をコントロールするのも難しいんです。そんなセンチメンタルになっていた私に対して、父は「無理しないでゆっくり下りるように」と的確なアドバイスをくれました。

K2では、父の声が聞こえた気がします

登山家・冒険家/山岳コンサルタント ピーター・ヒラリーさん

――お父様からの教えで、もっとも影響を受けたことはなんでしょうか。

ピーター:まわりに流されることなく、自分の意志できちんと判断を下して行動することですね。チームで登っていてほかの人たちは先へ進んでも、自分が無理だと感じたら、勇気を持って引き返す。そういう判断力は、登山をするうえで極めて重要です。

以前8人のメンバーでK2(※2)に挑んだときもこんなことがありました。頂上をめざして登っているとき、中国側からの風がどんどん強くなってきたんです。私以外の7人は、それでも登り続けると言いました。しかし、私は嫌な感じがして、一人だけで引き返すことにしました。結局頂上をめざした7人は亡くなってしまい、私は幸運にも生き残ることができました。あのときは紙一重だったと思います。

※2│ヒマラヤ・カラコルムに聳える世界第2位の高峰。標高は8611m。

――生と死を分けた要因はなんですか。

ピーター:あえていえば、「直感」です。標高が高くなればなるほど低酸素の影響で、理性は正常に働かなくなり、冷静な判断も難しくなります。K2のときも深く考えたというより、ふと「なにかがおかしい」、「歯車が狂い始めているんじゃないか」と感じて、だから引き返したんです。

さらにいえば、あのときはなんとなく、父の声が聞こえてきたような気がしました。そんな内なる声に耳を澄ませることも、山で生き残るためには大切だと思います。

――山登りにはリスクが伴います。それでも登り続けるのはなぜですか。

ピーター:登山の醍醐味は、未知なる領域に果敢に踏み込んでいくことにあります。それは、地理的な意味で人跡未踏の地を探検することでもあるし、自分の能力の限界に挑戦することでもあります。

1953年のエベレスト登山もまさにそうでした。当時は、世界最高峰の頂上に人間が達するのは生理学的に不可能なのではないかという議論もあったほどです。しかも、山頂付近のルートがどうなっているかもわからない。そんなとてつもない〝未知〞に、父とテンジン・ノルゲイさんは挑んだわけです。

世界最高峰の頂に人類として初めて立ったことは歴史的な快挙ではありますが、父とテンジンさんが成し遂げたことの真の意義は別のところにあると思っています。それは、のちに続く人たちに、「君たちにもこれ(エベレスト登頂)ができるんだよ」と可能性を示してあげたことです。多くの人たちを解放してあげた、ともいえます。それこそが登山のすばらしさのひとつなんじゃないでしょうか。

山を登るすべての人に、未知なる山、困難な山にチャレンジしろとはいいません。でも、せめて、登山家には勇気をもって人間の限界を超えよう、未知なる世界に飛び込もうとしている人たちがいることは知ってほしい。

そんな登山家たちの存在を知り、そして自分にもその可能性があることに気付くだけでも、力や希望が湧いてくるはずです。それが重要だと思うし、『ビヨンド・ザ・エッジ』はまさに未知に挑む男たちの物語ですから、観ればきっとインスパイアされると思いますよ。

登山家・冒険家/山岳コンサルタント ピーター・ヒラリーさん 映画『ビヨンド・ザ・エッジ』

映画『ビヨンド・ザ・エッジ』

歴史を変えたエベレスト初登頂60年前の記録映像などを交えながら、エベレスト初登頂までの軌跡を描いた本格山岳映画。©2013 GFC(EVEREST)LTD.ALL RIGHTS RESERVED

写真=田中由起子  取材・文=谷山宏典


あわせて観たい!エベレスト初登頂を再現した映画

『ビヨンド・ザ・エッジ 歴史を変えたエベレスト初登頂』

今や登頂待ちの渋滞ができるほどのエベレストですが、1953年の彼らは何もかもが全く未知の8848mに挑んだわけです。ルートも時間もわからない、装備も食料も足りているかどうかわからない、何ひとつとして安心できる材料がない状況でエベレストへ。想像するだけでも恐ろしいです。映画としてのストーリーはありますが、インタビューや当時の映像も交えたドキュメンタリーとして、より興味深く観ることができます。


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