登山家 オム・ホンギルさん|あの時もできたのだから今もきっと乗り越えられるはず

登山家 オム・ホンギルさん 山歩のひと
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フリーペーパー『山歩みち』2016年夏 023号掲載

※この記事はフリーペーパー『山歩みち』に掲載されたものに一部加筆、修正を加えたものです。基本的には取材時の内容となっておりますので予めご了承ください。

Profile ※2016年時点

おむ・ほんぎる 1960年生まれ。85年エベレストに初めて挑戦。以後、ヒマラヤ登山にこだわり続け、2000年に8000m 峰14座完登達成。04年ヤルン・カン(8505m)、07年ローツェ・シャール(8400m)にも登頂。

映画『ヒマラヤ~地上8,000メートルの絆~』の日本公開を記念して、主人公のモデルとなった韓国人登山家オム・ホンギル氏が来日した。不屈の精神で16座の8000m峰登頂(※1)を成し遂げ、今も新たな挑戦のまっただ中にいる彼が語る苦難を乗り越える秘訣とは。

※1│ヒマラヤには標高8000mを超える山が14座あるが、そのうちのいくつかの山(主峰)の周囲には8000mを超える衛星峰(もっとも標高が高い主峰以外の顕著なピーク)が聳えている。衛星峰の定義はあいまいで、独立した山として見なすこともできる。オムさんが登ったヤルン・カンはカンチェンジュンガの、ローツェ・シャールはローツェの衛星峰。

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挑戦することは生きることそのもの

――『ヒマラヤ〜地上8000メートルの絆〜』は、あなたが05年に組織したヒューマン登山隊(※2)の実話がもとになっています。映画を見た感想はいかがでしょうか。

オム:初めて見たとき、そこで描かれていることが10年前の出来事ではなく、数日前に起こったことで、今も自分が現場にいるような生々しさを感じました。いろんな感情がこみあげてきて、映画を見終わったあと、すぐに席から立ち上がれず、しばらくボーッとしていました。

※2│04年にエベレスト北面ルートで遭難したパク・ムテクさんの遺体を回収するため、05年に組織された登山隊。

――あなたは00年にアジア人として初めて8000m峰14座完登(※3)を成し遂げ、その後8000m級の衛星峰2座にも登っています。なぜ16座をめざしたのですか。

オム:最初、私は山が好きで韓国国内で登りはじめ、やがてヒマラヤにも登りたいという夢を抱きました。そこで8000m峰に挑戦するようになり、幸運にもいくつかの頂上に立てたとき、「自分にも14座完登ができるかもしれない」と次なる目標が生まれました。

00年に14座が達成できたあとは、さらなる高みをめざそうと2つの衛星峰――ヤルン・カンとローツェ・シャールに挑戦しました。

きっと私は、大きな夢や目標をもち、それに向かって挑戦する過程が好きなんだと思います。それにひとつの目標を達成すると自信や勇気を得て、それを糧に次なる目標へと突き進んでいけます。挑戦に終わりはありません。私にとって挑戦とは生きることそのものなのです。

※3│ちなみに日本人初は『山歩みち10号』にご登場いただいた竹内洋岳さん。2012年5月ダウラギリに登頂して達成した。

――16座完登に至るまでには、ご自身が大怪我をされたり、仲間が亡くなったりしています。困難な状況に直面して、夢を諦めそうになったことはありますか。

オム:自分が事故に遭ったり、仲間を失ったときには、恐怖心に襲われるし、深い後悔や悲しみを感じて、「登るのをやめよう」とさえ考えます。でも、しばらく時が経つと「もう一度挑戦しよう」と闘志がよみがえってくるのです。

これまでつらいこと、苦しいことには幾度となく直面してきました。自分の死を覚悟した瞬間もあります。しかし、そうした苦難は8000m峰に登頂するために通らなければならない〝関門〞のようなものです。その関門を乗り越えてこそ、はじめて目標の頂に立つことができるし、生きて帰ることができます。そのことを私はさまざまな経験を通じて知りました。だからこそ、困難に直面したときこそ、目標への意志を新たにして、「今こそ打ち勝たなければ!」と最大限の努力をするのです。

――どのように自分を奮い立たせるのですか。

オム:心の中で過去の登山のつらかった記憶を思い浮かべます。成功したときじゃないですよ。むしろ失敗したとき、状況がよくなかったときを思い浮かべ、「あのときだって何とか乗り越えたんだから、今だってやれるはずだ」と自分に鞭打つのです。

登山家 オム・ホンギルさん

本気で願い、行動すればどんな夢も必ず実現する

――現在ネパールの山岳地域で学校の建設を行っていますよね。

オム:ええ。私はこれまでヒマラヤからたくさんの恩恵を受けてきました。シェルパの方々からの支援もそのひとつで、私が生きて16座登頂という夢を叶えられたのも、彼らのおかげです。

私にとってシェルパたちはともに山を登る仲間であり、兄弟や家族のような存在です。そんな彼らに恩返ししたいと考えて、08年に「オム・ホンギル ヒューマン財団」を設立してヒマラヤに16の学校を建てる計画を立てました。それこそが私の第二の人生の夢であり、17座目の挑戦なのです。

――学校建設にもさまざまなご苦労があるのでは?

オム:ひとつの学校を建てるには何億ウォンもの資金が必要で、われわれはその費用を寄付でまかなっています。資金集めは容易な仕事ではありません。ただ、つらいときには、登山のときと同じように、これまで経験した困難な状況を思い浮かべて「強くあろう」と努力しています。

心想事成――これは私の好きな言葉で、ひとつのことを切実に願えば必ず叶うという意味です。私はいつもこの言葉を心に刻み、「夢は必ず実現する」という強い思いをもって何事にも取り組んでいます。

――オムさんにとって山とはなんですか。

オム:私を導いてくれる偉大な師匠であり、安らぎや癒しを与えてくれる母親のような存在でもあります。山は、謙虚さや初志貫徹すること、平常心を保つことの大切さを私に悟らせてくれました。人は多くの知識や技術を学校や社会の中で学びますが、生きていくうえでもっとも大事なこと――理想的な心のあり方や仲間との絆について教えてくれるのが、山や自然なのではないかと思っています。

――最後に、「山歩みち」読者が山と深いつながりを持てるようになるためのアドバイスをお願いします。

オム:何よりも山や自然を愛する気持ちが大切です。愛していれば、山に入ったときに幸福感に包まれ、山から良い気をもらうことができます。また、山で出会うすべてのものに対して「なんて美しいんだろう」と感動し、山や自然をもっと好きになれるのではないでしょうか。

登山家 オム・ホンギルさん
取材後、『山歩みち22号』に「挑戦! ヒマラヤの聖なる気を」というメッセージとともにサインをいただいた

写真=杉木よしみ  取材・文=谷山宏典

あわせて観たい!オム・ホンギルさんに関する映画

『ヒマラヤ 地上8,000メートルの絆』

登山家・冒険家と呼ばれる方々の挑戦は、場合によっては命懸けになることもあります。しかしそれはあくまでも自分のためであって、誰かのためではないはず。この映画は、オム・ホンギルさんが、遭難して亡くなった仲間の遺体を家族のもとに連れて帰るためにエベレストに登った実話が元になっています。この映画を観ると、誰かや何かのために登山をするということが自分にはあるのだろうかと、誰もが考えてしまうのではないでしょうか。

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