フリーペーパー『山歩みち』2017年夏 026号掲載
※この記事はフリーペーパー『山歩みち』に掲載されたものに一部加筆、修正を加えたものです。基本的には取材時の内容となっておりますので予めご了承ください。
Profile ※2017年時点
いのくま・たかゆき 1970年生まれ。株式会社ヤマテン代表取締役。中央大学山岳部監督。テレビや映画などの撮影をサポートしているほか、旅行会社、山小屋などに気象情報を配信し、圧倒的な信頼を得ている。ほかにも講習会の講師、山岳気象に関する書籍や雑誌記事の執筆など多方面で活躍中。
山の天気のことなら、この人に聞け──。国内唯一の山岳気象専門会社ヤマテンの代表であり、同社が運営するサイト「山の天気予報」などを通じて、日々、山の天気の情報を発信し続ける猪熊隆之さん。登山者はなぜ天気のことを学ばなければならないのか。その理由を教えてもらった。
天気予報を信じ込んではいけない
――猪熊さんは「山の天気予報」(※1)や講習会を通じて、山の天気についての情報を広く発信しています。登山において天気を知ることの重要性を教えていただけますか。
猪熊:登山のリスクのひとつに気象リスクがあり、しかもそれは富士山や北アルプスなど高い山だけではなく、日帰りハイキングで行くような低山にもあります。つまり、登山をしていれば、天気に起因する遭難事故(気象遭難)を起こす可能性があり、それを回避するために天気について最低限のことは知っておかなければならないのです。
では、山における天気のリスクとはなにかといえば、無雪期の山では風雨による低体温症、落雷、強風による転・滑落、大雨による沢の増水などがあります。気象リスクが難しいのは、同じ天気でも登山ルートによってリスクが異なることです。
※1│ヤマテンが運営する山専門の天気予報サイト。全国18山域、59山の詳細な山頂予報を配信するほか、設定をすれば予報をメールで受け取ることもできる(有料) 。
――ルートでリスクが異なる?
猪熊:たとえば、大雨のとき、沢沿いのルートは増水の危険が増しますが、尾根上のルートであれば、強風や雷を伴わないかぎり、それほど危険はありません。しかし、強い風が吹く場合は、尾根ルートのリスクは一気に高まります。
また、広くなだらかな尾根は転・滑落といった技術的なリスクはほとんどなく、晴れていれば気持ちのいい尾根歩きが楽しめます。ところが、ひとたび天候が急変して暴風雨になると、雨風を避ける場所がないために濡れと風による低体温症のリスクが高まります。
山に登るとき、多くの方がそのルートの体力および技術的な難易度を調べると思いますが、それと同時に「どんな気象リスクがあるのか?」を把握することも重要だと思います。
――「天気予報を見て、晴れの日にしか山に行かない。だから、自分は気象遭難なんて起こさない」という人もいますよね。
猪熊:そんな方にいつも言うのは、「これまではたまたま運がよかっただけで、同じことがずっと続くとは限りません」ということです。
実際、気象遭難の当事者に話を聞くと、彼らの多くは天気予報を見て「行ける」と判断して入山しているにもかかわらず、遭難している。それは、気象遭難が起こるのは、平地の予報と山の天気が大きく異なっていたり、平地の予報では予測できなかった急激な天候変化が山で発生したときだからです。
だから「天気予報を見ているから安全」というのは間違いで、登山者自身が天気のことを知り、山での気象リスクを自らの判断や行動で回避する努力が求められます。私が気象情報を提供しているのも、その手助けをするためです。
まずは等圧線の間隔を見てほしい
――『山歩みち』読者にまずやってほしいことは?
猪熊:山に行く日の予想天気図を見て、等圧線の間隔を観察することですね。登る山の位置に印をつけて、そのあたりの線の間隔が狭ければ風は強く、広ければ風は弱くなります。
風の強弱は低体温症のリスクに直結します。もし線の間隔が「東京〜名古屋間」の距離より狭いときは、森林限界を超える尾根上ではかなりの強風にさらされることが予想されるため、注意して行動しなければなりません。
また、あえて雨の日に登山することもおすすめしたいですね。歩きなれた身近な山で、体が濡れて風に吹かれるとどのぐらい寒いのかとか、雨で登山道がどのように変化して、どこが滑りやすいのかとか、そうした雨の日特有のリスクを経験しておくことは大事なことです。
――猪熊さんの「山の天気予報」とほかの天気予報の違いとは?
猪熊:だれでも閲覧できるサイトの天気予報は、仮に「山の天気」と謳っていても、たいていは山麓の予報だと思った方がいいでしょう。会員制にして、発表する山ごとに予報業務許可を取得していれば、山頂の天気を予報できます。
うちの会社もこの後者に当たり、私をはじめとした気象予報士が、さまざまな観測データやライブカメラの映像を見たうえで、山域ごとの地形を考慮しながら、それぞれの山頂の天気予報を出しています。
ただし、会員制のサイトのなかには、観測データを自動計算した結果をそのまま予報として出しているところもあります。そうした予報は、精度面で不確かな部分が多いといわざるをえません。ですから、予報を出した気象予報士の名前が書かれていなかったり、100以上の山について1日に何回も更新しているサイトは注意が必要ですね。
――天気予報を出すうえで、どんなこだわりを?
猪熊:天気は登山者の安全やリスクに直結するので、「無責任な予報は出せない」と常に心がけています。そのため、毎日必ず自分たちが出した予報を検証して、次の予報に活かすようにしています。
――今後、やりたいことは?
猪熊:予報業務とは関係ないのですが、山の学校みたいなものを作りたいなと。子供に山や天気について興味を持ってもらったり、日本の自然と文化と子供たちをつなぐ活動をしていきたいと思っているんです。やりたいことは山ほどあります。でも、忙しすぎて、なかなか実現できない。それが今の悩みです(笑)。
天気予報を「明日の天気はこうで、こんなリスクがありそうだな」と考える手助けに使うのはいいのですが、鵜呑みにするのはかえって危険です。なぜなら、天気予報が外れることは充分にあり得るからです。
写真=木村和也 取材・文=谷山宏典
参考)著書
インタビューの内容をもっと深く知りたくなったらこの本を。山の天気は、天気図をよめるようになることだけでなく「気象リスクについて学ぶ」ことが大事なのだと気づかされます。晴れ女、晴れ男もいいですが、実は雨女、雨男の方が気象リスクについての経験値は高いのかも。そう考えれば雨の登山も悪くない気がしてきます。