クライマー 山野井泰史さん|目標をもって山に向かうほうが山を楽しめる

山野井泰史さん 山歩のひと

フリーペーパー『山歩みち』2011年夏 005号掲載

※この記事はフリーペーパー『山歩みち』に掲載されたものに一部加筆、修正を加えたものです。基本的には取材時の内容となっておりますので予めご了承ください。

Profile ※2011年時点

やまのい・やすし 1965年東京都生まれ。15歳で日本登攀クラブに入会。ヒマラヤ、パタゴニア、ヨーロッパアルプスなどを舞台に、高所クライミング、ソロクライミングの分野で活躍する世界的クライマー。おもな著書に『垂直の記憶』(山と溪谷社)がある。

クライマー・山野井泰史。先鋭的な登りだけが注目されがちだが、その奥底には山への深い愛があった。山と正面きって向き合うためのヒントを聞いた。

最近の山登りは、なぜか明るい。

――世の中、登山ブームといわれています。

山野井さん(以下、山野井):うちの会(日本登攀クラブ。ロッククライミングや沢登りなどを中心にして活動する山岳会)ですら、入会の問い合わせが増えてね。経験がないけれど、山をやってみたいというようなひと。たとえば、それまで運動にまったく縁がなかったけれど、谷川岳の岩壁をたまたま見たら、どうしても登りたくて入会…。こうしたタイプのひとが増えているよね。

こういうタイプのひとが増えることは、なんとなくすがすがしい。ぼくらが山を始めたときは、悲壮な覚悟を決めて入会するひとが多くて、なんか暗いの(笑)。でも、だからといって、今のひとたちが軽いってわけじゃないよ。なんだろうね、アウトドアスポーツというのが似合うんだと思う。やってることはまったく同じで、気持ちの問題で、みんな楽しそうで全然つらそうじゃない。ここが昔とちがうところじゃないかな。

もちろん、自然はきびしくて、ただ単純に楽しいだけじゃダメなんだけれど、最初から肩肘はってかまえていかなくてもいいんだな、と最近は思えるようになりました。

高まる感じ。フィットする感じ。

――山登りのおもしろさとは。

山野井:山登りをするときの、心拍数があがってドキドキする感じ、いいよね。山頂に立つ手前で感じる高揚感が気持ちいい。たとえば倉戸山(奥多摩の山)からの景色なんてもう何十回も見ているのですが(笑)、それでも、あ、山頂に立てる、と思うだけで楽しくなる。高みに向かって自分も高まっていく感じ。たぶん、山登りの楽しみってそこにあるのだと思う。

この感じはヒマラヤでも奥多摩でも同じですが、この山を登ろうと思った瞬間、あの樹林帯を抜けたら落ち葉があって滑りそう、カーブを切ったら開けてきて、まもなく山頂だ…そう想像しただけでどきっとします。けれど、不思議なことに、登りだすとなにも感じない。無心になっている。ここは居心地がいいな、と思う。ほっとする。無を感じる。山とぴったり合うっていうのかな、山にフィットするという感覚がいちばん近い。

坂の上のその先へ。山への壁への想いはつきることがない
坂の上のその先へ。山への壁への想いはつきることがない

24時間 365日

――どんな山登りをしていきたいですか。

山野井:本音のところ、24時間365日、山に登っていたい(笑)。なんて、現実的ではないですが、一生登っていくと思います。でも、土日だから山登りする、というようなことはないですね。目標をもって山に登りたい。それが、たとえヒマラヤの高峰でも奥多摩の低山でも、今年はどこどこを登るんだと強い憧れをもって、それをクリアしていくようなスタンスで山を続けていくと思います。

たぶん、長年の経験から、そうやったほうが山を楽しめるのだと知っているからだと思います。実際は、目標の多くをクリアできるわけじゃないのですが、目標を設定して、調べ、準備し、山を登る。その過程が楽しいし、それを続けていくじいさんになるのだと思う。だって、10歳からこれまでの35年間、山への強い憧れのレベルがまったく変わっていないし、これから死ぬまで、それが変わるなんて思えないですし。

 自宅に設置されたクライミングウォール。日々トレーニングにいそしんでいる
自宅に設置されたクライミングウォール。日々トレーニングにいそしんでいる

ほかになにもない。山しかない。

――とはいえ、山だけで生きていける!?

山野井:10歳で山に登りたいと思ってから、今までまともに就職したことはないです。けれど、裕福ではないがとくに貧乏でもない生活を維持できています。なぜだろう。これまで何度も生死をさまよったにもかかわらずこうして生き残り、今の生活がある。意識したことはないですが、意外なところでシビアな計算ができているのかもしれません。あんがい、山登りに関しては、ぼくって頭がいいのかも(笑)。いや、そう思っているだけで、妻が緻密な計算をしていただけなのかもしれない(笑)。

それはさておき、山だけの人生でこれまで失敗しなかったのは、たぶん山しか好きなものがなかったからだと思います。ほかの選択肢がない。かつてあったのかもしれないけれど、それにはぼくは反応しなかった。山しかないんです。だから、失敗しなかったと思います。

山と向き合うその極意。

――山をもっと楽しむには。

山野井:これだ、と思う山をみつけて、自分で調べること。だれかがすすめたから、雑誌に掲載してあるからとかの理由ではなくて、自分で情報を引っ張ってくること。これに尽きますね。一方で、情報には〝ヌケ〟があることも大事だと思います。調べつくしてそれをなぞるだけなら、山での発見はありませんよね。適度なヌケが大切なんですよ。

そういえばこの小冊子、おすすめ山がありすぎですし、もっと情報にヌケがあったほうがいいんじゃないかな(笑)。

山野井泰史さんと奥様

写真=加戸昭太郎

あわせて読みたい!山野井さんについての二冊

『垂直の記憶 – 岩と雪の7章 – 』  山野井泰史

山野井さんのクライミングの中で「ヒマラヤの高峰での登攀」に絞って書かれた本です。20~30代で18回も挑戦したうちの7回を選んであるのですが、どれも大小問わず想定外の何かが発生し、ひとつひとつが短編小説のよう。 そんな極限のクライミング各章ごとの間には、日々の暮らしや想うことのコラムが挟まれており、子供の頃の話や、未来への希望などが綴られています。登攀記録には初心者を寄せつけないような本もありますが、山野井さんの文章は優しく穏やかで、今まで全く知らなかった世界を見せてくれるはずです。

『凍』 沢木耕太郎

山野井さん本人が著した『垂直の記憶』の第七章、ギャチュン・カン北壁の登攀についてを、沢木耕太郎さんが書いたノンフィクション小説。山野井さん夫妻が二人とも何本もの指を失うことになりながらも生還を果たした、その壮絶な山行の一部始終が、圧倒的な臨場感で描かれています。山野井夫妻の行動に加えて驚愕なのは、沢木さんは登山経験は全くないとのこと。それなのにこの表現力、現場の再現力、全く信じられません。トップクライマーと人気作家の実力は、一般人の想像を遥か彼方まで超えています。