岩崎元郎さん|登山インストラクター・無名山塾主宰|自立した登山者を育てたい

岩崎元郎さん 山歩のひと

※この記事はフリーペーパー『山歩みち』に掲載されたものに一部加筆、修正を加えたものです。基本的には取材時の内容となっておりますので予めご了承ください。

Profile ※2019年時点

いわさき・もとお|1945年、東京都生まれ。1963年、昭和山岳会入会の後、1970年、蒼山会同人を創立。1981年、ネパールヒマラヤ・ニルギリ南峰登山隊隊長として参加。同年、無名山塾を設立。自立した登山者の育成活動を開始。1995年〜99年にかけてはNHK「中高年のための登山学」の講師を務める。『今そこにある山の危険 』(山と溪谷社)等、編著書多数。

登山学校「無名山塾」を主宰する岩崎元郎さん。インストラクターとして山の知識を伝え続けている。その裏にあったのは、「自分が好きな山を相手にも楽しんでほしい」という思いだった。

組織を通して「自立した登山者」を育成する

――登山を始めたきっかけは。

岩崎:僕が高校1年生のとき、クラスメートに誘われて河口湖にキャンプに行ったことがきっかけです。その帰り道の電車で、鮮やかなブルーのキャラバンシューズを履いた登山者を見て、「自分もこういう靴を履いて登山に行ってみたい」と思ったんです。

組織づくりが好きだったこともあって、学校でワンダーフォーゲル部をつくりました。全クラスを回ってビラをまいて、集まった部員は30人ほど。中高一貫校だったので、中学1年生から高校1年生まで。高校2年生の4月から活動を開始して、丹沢の葛葉沢で沢登りをしたり、金峰山に登ったりしていました。

――初めての山行のエピソードを聞かせてください。

岩崎:ワンダーフォーゲル部を創立したばかりの頃、仲間と2人で、丹沢の川苔山から雲取山まで縦走する計画を立てたんです。でも、やっぱり自分たちだけなのが不安で。途中の小屋で出会った大学生に着いていって、雲取山まで行かずに下山してしまいました。初めての山行の思い出です。

その年の7月には、別の仲間と甲斐駒ヶ岳に行きました。黒戸尾根から甲斐駒ヶ岳、仙丈ヶ岳、そして間ノ岳を経由して北岳まで縦走する壮大な計画でした。とはいえ、トレーニングもしていなかったので、甲斐駒ヶ岳の5合目で足が吊ってしまって。ヨレヨレになって小屋に行きました。壮大な計画は諦めて、仙丈ヶ岳だけピストンして下山して。失敗も多かったです。

――その後の山との関わりについて。

岩崎:大学在学中に昭和山岳会に入会して、6年間登山技術を学んで卒業。その後登山のグループ「蒼山会同人」をつくって10年間活動しました。1981年にはヒマラヤにも挑戦して。

一方、1970年代の終わりから1980年代には、山岳会が衰退してきて、登山学校としての機能を失っていました。「登山を学べる場を提供しよう」と思って、1981年に登山学校「無名山塾」をつくったんです。雪山でのアイゼン歩行や沢登り、机上での講習などを開催して、多いときにメンバーが100人になっていたかな。

でも、ある程度山を覚えてもらったら独立してもらうようにしていましたね。居心地がいいから、とずっと在籍する人もいましたが、無理やり追い出していました(笑)。

無名山塾での活動を通して、自立した登山者を育てることができました。マッターホルンや槍ヶ岳にいくら登っても、誰かに連れていってもらっていたら、よい登山にはなりません。特に若い人たちは、自分で計画して山に行けるようにした方がよいと考えています。人に連れていってもらったコースを、次に自分で辿ってみるというのもおすすめです。

――自立した登山をするうえでは、安全登山が必要不可欠だと思います。

岩崎:安全登山というけれども、無事下山するためには、安心して山に登れる条件を整える必要があります。そこで、「安心登山の10ヶ条」(※1)を提唱しています。例えば、第1条は「家族の理解を得ておく」こと。自分の登山について、家族に理解されていないと、余計な心配をされてしまう。

ほかにも、10ヶ条では「装備・服装を整えておく」「技術を養成しておく」など、具体的に安心登山に必要なことを書いています。「安全登山に配慮して登りましょう」と言われても、何をしていいのか分からないでしょう。でも、10ヶ条と具体的に落とし込めば分かりやすい。一人一人がそれぞれの安心登山の10ヶ条をつくれたらいいですね。知識を蓄えて、自分で判断して行動できるような登山者が増えてほしいと思います。

※1)岩崎元郎さんが提唱する「安心登山の10ヶ条」
第1条  家族の理解を得ておく
第2条  装備、服装を整えておく
第3条  体力を養成しておく
第4条  技術を習得しておく
第5条  知識を貯えておく
第6条  計画は万全にしておく
第7条  いい仲間を育成しておく
第8条  リーダーシップを発揮する
第9条  メンバーシップを発揮する
第10条  山岳保険に加入しておく

自分が好きな山を、相手にも楽しんでほしい

031号 岩崎元郎さん
アルパインツアー「岩崎元郎と地球で遠足」パキスタン・フンザでの記念撮影

――登山者を育てようとする原動力は何ですか。

岩崎:山が好きだからでしょうか。無名山塾をつくったのは、自分のパートナーをつくりたいという思いからです。技術を学んだ人と、一緒に山に登りたいと思っていました。同僚を山に誘って登っていた頃と似た感覚です。

僕がインストラクターとして参加しているアルパインツアー「岩崎元郎と地球を遠足」も同じです。自分の好きな山に登って参加者も喜んでくれる。先日もパキスタンのフンザ渓谷のツアーへインストラクターとして同行しましたが、運よく晴れて、花のまっさかり。皆さん喜んでいました。

ツアー参加者の平均年齢は74.5歳。82歳の方もいらっしゃって、現在74歳の僕が、男性のなかでは一番年下。そうやって、いつまでも山を楽しめる手助けができるのは嬉しいですね。

――中高年の登山者育成に尽力してきた岩崎さん。中高年登山ブームはどうして起きたのでしょうか。

岩崎:1956年に日本山岳隊がマナスルに初登頂して、空前の登山ブームになりました。その頃に山に登った男女が仕事や子育てから解放された1990年代、また山に登り始めたんです。「日本百名山」に登ろうという人も多かったですね。

若い頃に取り組んでいたクライミングや沢登りが難しいという人に、日本百名山は最適な目標だったんだと思います。やっぱり目標があった方が楽しいし、続きますよね。中高年登山ブームにおいて、日本百名山が果たした役割は大きいと思います。若いときに山に登っていた人たちが、そうでない人も誘って。山道具も発達して軽くなって、登山しやすい環境が整ったことも大きいと思います。

――今の状況は。

岩崎:登山ブームの報道は減ったように思いますが、ブームで登山を始めて、今も登り続けている人が多いように感じています。

――岩崎さん自身は、なぜ登山を続けてこられたのでしょうか。

岩崎:山を歩いていると、自然と無になる時間があると思います。黙々と歩く時間で生命のエネルギーが補充されているのだそうです。山に登っているときは「早く帰りたい」と思っていても、帰ってから1週間もすると、無性に山に行きたくなってしまう。知らずのうちに、山で生命エネルギーが補充されるのを感じていたんでしょうね。だからこそ続けてこられたんだと思います。

――今後やりたいことは?

岩崎:小さくても楽しめる山にお誘いすることで、何歳でも登り続けられる人を増やしていきたいです。目安としてはコースタイム3時間以内、高低差500m以内かな。

それから、山の文章ももっと書いていきたい。新聞や雑誌に山が紹介されないと、社会全体の山への理解を進めたいと思います。目指すは漫画化です(笑)。幸いパソコンに向かう時間も増えてきたので、少しずつ取り組み始めています。これからの山登りですね。

写真=平山訓生 取材・文=吉田 瞳 (取材日=2019年4月9日)

あわせて読みたい!岩崎元郎さんの1冊

◆『今そこにある山の危険』 岩崎元郎著 山と渓谷社 2014年

ハイキングや低山など、身近でも起こり得る道迷いや転倒・滑落などについて、実際のトラブル例や経験を多数紹介されています。安全に登山するためには何に気を付けるべきなのか、どんなことが起こり得るのか、山登り初心者や久々に再開する方は読んでおきたい基本の一冊です。