フリーペーパー『山歩みち』2016年秋 024号掲載
※この記事はフリーペーパー『山歩みち』に掲載されたものに一部加筆、修正を加えたものです。基本的には取材時の内容となっておりますので予めご了承ください。
Profile ※2016年時点
おおしろ・かずえ 1967年長野県生まれ。2010年、国際山岳医の資格を日本人として初めて取得。同年、心臓血管センター北海道大野病院に「登山外来」を開設。北海道警察山岳遭難救助隊のアドバイザーも務める。13年には三浦雄一郎さんのエベレスト遠征隊にチームドクターとして参加した。著者に『登山外来へようこそ』(角川新書)がある。
遭難を減らしたい。そのためには登山者を育てなければならない――。医師としての立場から、日本の登山の未来を考え、先進的な取り組みを続ける大城和恵さん。夏の間、彼女が常駐する富士山八合目の富士山衛生センターに伺い、話を聞いた。
診療所は「教育施設」
――富士山診療所のお仕事はいつから始めたのですか。
大城:今年で5年目です。はじめの3年間は吉田口七合目の山梨県救護所で。去年から、ここ富士宮口八合目の富士山衛生センターにお世話になっています。
――シーズン中、どのぐらいの患者さんが来ますか。
大城:全体で450名ぐらいですね。私は今シーズン、約2週間常駐していますが、その間で百数十名の方を診ました。富士山で働くようになって、最初に感じたのは、みなさんヘルプを求めるのがすごく早いということ。私としては「この程度で来ちゃうんだ」とはじめはびっくりしました。
重篤な患者さんは全体の1%もいません。でも今はそれでいいと思っています。富士登山者はほとんどが初心者なので、ちょっとしたことで不安を感じます。それで診療所に来てもらい、私の話を聞くことで高山病や脱水、低体温症のことを知ってもらえれば、次の登山に必ず活きるからです。
――では、診療らしい診療はあまり行っていないということですか。
大城:ええ。軽い高山病の症状を訴えていても、私は酸素を使いません。「眠れない」という方には「今夜は眠れないので、そう思って一晩過ごしてください」とアドバイスします。「診療」というより「指導」ですね。私が担当のときに来た患者さんはほんとアンラッキーだと思いますよ、何もしてもらえないので(笑)。
でも、充分に順応可能なこの標高で酸素を使う山登りを覚えてほしくないんです。今後も安全に山登りを続けてもらうためにも、「体調が悪くなったら下りる」という自分の力で解決する選択肢を体験を通じて身につけてもらうことも大切だと思うんです。
――山小屋の前で登山者と話をされていましたよね。
大城:具合のわるくなった人を待っているだけではダメだと、時間があるときにセンターの外に出て登山者の方たちに声をかけるようになったのも、指導という観点からです。
はじめは反応がいまいちでしたが、白衣を着るようになってからは、私を医者だと認識してくれるのか、みなさん話を聞いてくれるようになりました(笑)。
富士山に対して最初は「こんな観光地化されている山、大丈夫かな」と思ったのですが、装備のレンタルが充実していて、医療サポートがちゃんとできれば、むしろ富士登山を通じて初心者の方たちをうまく育てられるのではないかと。私にとって衛生センターは「診療所」ではなく、「教育施設」という位置付けなんです。
若い登山者を育てたい
――富士山診療所以外にも、北海道の病院での「登山外来」(※1)や、警察の山岳遭難救助アドバイザーなど、山の医療に関わるさまざまなお仕事をされていますね。
大城:2010年に国際山岳医(※2)の資格を取得してから、「山岳医として日本でなにができるのか?」をずっと考えてきました。そのなかでもっとも強く感じていることが「予防医療」の重要性です。
山岳医というと「ヘリコプターで遭難現場にかけつけ、医療行為を行う人」というイメージかもしれません。しかし、海外のある調査では、ヘリコプターに医師が同乗しても遭難者の救命率が上がることはないという結果が出ています。それに起きた遭難に対応するだけでは、そもそも遭難数は減りません。となると、山岳医が貢献できるのは、遭難の予防ではないかと考えるようになったのです。
※1│2011年に大城さんが勤務先の心臓血管センター北海道大野病院で開設した。山での心疾患を減らすための検査などを行っている。 ※2│UIAA(国際山岳連盟)、ICAR(国際山岳救助協議会)、ISMM(国際登山医学会)認定の国際資格。国内では現在、日本登山医学会が認定試験の運営を行っており、2016年6月時点で30名強が国際山岳医の認定を受けている。
――ファーストエイド講習会(※3)も予防のためということですか。
大城:そうです。ファーストエイドというと何かあったときの対処法を学ぶと思われるかもしれませんが、病気やケガのメカニズムを知れば予防にもつながります。受講者には最新かつ実践的な知識を伝えたいので、私自身がアメリカやヨーロッパに勉強に行ったり、山岳救助隊の方に遭難の事例などを教えていただいて、講習内容は常にアップデートさせています。
今後の課題としては、今は5日間コースが標準ですが、一般の方がもっと気軽に参加できるように半日や1日のコースも作れたらなと思っています。
※3│大城さんが理事を務める日本登山医学会で、大城さん自ら年4回の山岳ファーストエイド講習会を主宰している。大城さんの最新著書『登山外来へようこそ』(角川新書)がKADOKAWAより発売中
――そうした先進的な活動を支える原動力とは。
大城:基本的には「みんなのためになることをしたい」という思いが根っこにはあるんです。遭難した一部の登山者だけでなく、登山者全体のため、そして救助隊員の安全のために活動するのが、医師である自分の役割だと考えています。
とはいえ、新しいことに取り組むのは不安もあります。「人が集まらなかったらどうしよう」「講習会をすることに意味があるんだろうか」って。ただ、歳月や回数を重ねるごとに評価してくださる方が増えたり、「講習会で学んだおかげで人を助けることができました」と連絡してくださる方がいて、そうしたまわりの声も支えになっていますね。
――今後やってみたいことを教えてください。
大城:一般向けの医療情報をホームページ上で無料公開していきたいと思っています。登山に関する医療情報を、特別なものではなく、もっと気軽に手に入れられるようにして、みんなにどんどん活用してもらいたいんです。
また、これまでは講習会や講演会を街で行ってきましたが、登山口や山小屋でのミニレクチャーみたいなかたちにできればと思っています。医療知識も登山技術のひとつだと思います。それゆえ、机上で学ぶだけではなく、山で実際に経験をしたり、実践していくことではじめて身についていくんです。
遭難を減らすには登山者――とくに若い登山者を育てていかないとダメだと思うし、そのためには上からルールを押し付けるのではなく、今の時代、今の登山者にあった方法を考えていく必要があります。そのために山岳医ができることって、まだまだたくさんあると思います。
医療知識も登山技術のひとつだと思います。それゆえ、机上で学ぶだけではなく、山で実際に経験をしたり、実践していくことではじめて身についていくんです。
写真=木村和也 取材・文=谷山宏典
参考)著書
登山のリスク管理といえば、道迷い回避や天候判断など知識やテクニックに関わるイメージがありますが、自分の病気や健康状態もリスクとなります。健康管理という面から登山のリスクを減らすためのアドバイスをしてくれる「登山外来」、一度受診してみたくなります。
『 三浦雄一郎の肉体と心 80歳でエベレストに登る7つの秘密 』 大城和恵
チームドクターとして三浦雄一郎さんのエベレスト登頂を支えた大城さん。その時の現場の状況や三浦さんの身体の変化などが、本人ではない客観的な視点で書かれています。医師からみた三浦さんの凄さは、登山をする私たちの健康管理の参考になること間違いなしです。