フリーペーパー『山歩みち』2014年春 015号掲載
※この記事はフリーペーパー『山歩みち』に掲載されたものに一部加筆、修正を加えたものです。基本的には取材時の内容となっておりますので予めご了承ください。
Profile ※2014年時点
ぬきた・むねお 1951年、山口県生まれ。ヨーロッパ、北米で多数登攀。79年ダウラギリⅤ峰(7618m)登頂。エベレストにも91年春、94年秋に登頂。現在は、海外登山企画や山岳地域での撮影コーディネートなどを行う「株式会社ウェック・トレック」顧問。
今、登山界を超えて、大きな話題となっているのが、今春に行なわれているタレント・イモトアヤコさんのエベレストへの挑戦だ。巷では賛否両論さまざまな意見が飛び交っているが、この企画に「登山部顧問」として深く関わっている貫田宗男さんは、なにを考え、なにを思い、世界最高峰へ向かうのか。
リスクマネジメントは登山に欠かせない
――イッテQ!登山部(※1)では「天国じじい」とあだ名までつけられて、ちょっとした人気者ですね(笑)。山で声をかけられたりしませんか?
貫田:たまにかけられますけど、みなさん、私の名前までは憶えていませんよ。角谷さん(※2)とごっちゃになっている人もいて、「お怪我の具合、いかがですか?」と聞かれることもあります。その程度です。
※1│日本テレビのバラエティ番組「世界の果てまでイッテQ!」の登山企画。イモトアヤコさんはこれまでキリマンジャロ、マッターホルン、マナスルなどに登頂。
※2│イモトさんの山の師匠ともいえる、国際山岳ガイドの角谷道弘さん。12年に大腿部及び骨盤の粉砕骨折という大怪我を負うも、マナスルでイッテQ!登山部に復帰する。
――番組での肩書は「登山部顧問」となっていますが、具体的にどんなお仕事をされていますか。
貫田:登山のコーディネーターです。仕事としては、目的の山に登るためのプランを考えて、それに基づいてチームを動かすことがひとつ。また、もうひとつ重要な役割として、リスクマネジメントがあります。
たとえば、槍ヶ岳に登る計画を立てた場合、まずは東京から上高地まで車で移動しますよね。じゃあ、その間にどんなリスクがあるのかを予測して、対策を考える。同様に、上高地〜横尾、横尾〜槍沢…と時系列で想定されるリスクとその対策を考えていく。そんなリスクアセスメントを作ったうえで、必要な保険をかけたりするんです。
こうしたリスクマネジメントの考え方って、一般の仕事では常識ですが、こと山でのテレビ・映画の撮影となると、日本ではこれまでまったく欠けていたことなんです。たとえば、ヒマラヤで撮影をするときには保険に相当の金額をかけていますが、「そこまでやる必要あるの?」という人もいる。私としては、そこに充分なお金をかけることができなければ、山の番組なんてやるべきじゃないとさえ思っています。
――マッターホルンでは下山時にヘリコプターを使いました。あれもリスク回避のため?
貫田:ええ。あの登山の目的は撮影であり、下りは基本的に撮影しないので、下りで無用なリスクを冒すべきではないと判断したんです。しかも、ほかの登山者の迷惑にならないよう、登頂日は出発を1時間遅らせて、頂上で待機もしています。そうなると自分たちの足で下るのは時間的なリスクも高い。ヘリの使用は当初から頭にありました。
――今春のエベレスト挑戦ではどんな戦略を考えていますか。
貫田:イモトさんは短距離選手タイプなので、上部に長く滞在することは肉体的にも精神的にもストレスをかけてしまいます。なので、できるだけ高所滞在を短くして高所順応をさせるかがポイントですね。あとは渋滞対策でしょうか。エベレストは登山者の混雑がひどいですから。
困難があるからこそ登山は楽しい
――マナスル登頂の回では視聴率が20%を超えるなど、番組への注目度はかなり高いですね。
貫田:登山に興味を持つきっかけは、ファッションでもお笑いでもなんでもいいと思っています。最近、山に若い人が増えていますが、そうした動きにイッテQ!登山部が少しでも役に立っているならばうれしいですね。
――一方で、バラエティ番組で高所登山をすることについて、賛否両論があります。
貫田:私としては、山登りは〝なんでもあっていい〞と考えています。登山界を大きな三角形とするならば、その頂点には世界のトップレベルで活躍するクライマーたちがいて、その下に趣味として山歩きやクライミングを楽しむ人もいれば、私たちみたいな登山を仕事にする人間もいるし、テレビの企画で登るイモトさんのような人もいる。
そういう多様性があってこそ、はじめて登山界は成り立ちます。そして、それぞれの人がそれぞれの方法で、自分なりの充足感を得られる登山ができれば、それでいいんじゃないかと。
――では、登ったときの充足感をより大きくするにはどうすればよいでしょうか。
貫田:方法はいろいろありますが、ひとつには登る条件を自分で厳しくしていけばいいんじゃないでしょうか。それは登山の歴史を振り返っても明らかで、たとえばエベレストに初登頂したヒラリー(※3)は酸素を吸って、シェルパのテンジンとともに登りましたが、その後の登山家たちはシェルパレスや無酸素、より困難な未踏のルートからのチャレンジなど、それぞれに条件を付けてエベレストの頂をめざしました。
なぜ彼らがシェルパレスや無酸素で登るかといえば、その方がおもしろく、登れたときに満足できるからです。逆にいえば、ガイドにサポートしてもらっても充足感が得られるならば、ガイド登山でエベレストに登ってもぜんぜんかまわないと思います。
※3│ニュージーランド出身の登山家。1953年、英国隊の一員として人類初となるエベレスト登頂に成功した。
――貫田さんにとっての理想の登山とはなんですか。
貫田:困難やトラブルが次々と立ち塞がってくる登山ですね。
――コーディネーターとしては、むしろ障害がない方がいいのでは…。
貫田:いやいや。困難やトラブルがあった方が、それを克服する楽しみや喜びがあるじゃないですか。とくにヒマラヤの山々は、とてつもなく壮大で、人知なんてまったく及ばない圧倒的な存在です。
さらに今回は、バラエティ番組のロケとして、イモトさんたちを世界最高峰の頂上まで安全に登らせて無事に下りてこなければいけない。自分にとっては挑戦的な登山であり、きっと様々な問題が出てくるでしょう。でも、ヒマラヤの大自然が与えてくれる困難を、人間の英知を結集して解決していく。それが燃えるんですよ。
結局、充足感を得られる登山がその人にとっての〝いい登山〟だと思うんです。だから、人がどうこういうのは気にせず、自分で条件付けをして、自分の実力に合った山を自由に楽しめばいいんじゃないでしょうか。
写真=田中由起子 取材・文=谷山宏典
『二人のチョモランマ ― 中年サラリーマン登山隊8848メートルに挑む』貫田宗男
サラリーマンをしながら、仕事を辞めずにエベレストに挑戦した貫田さん。一般的に想像する方法とは異なる計画や、相棒とのやりとりが普通の感覚で書かれていて、極めつけは自分達のことを「日本貧困者中年サラリーマン、運がよければ頂上に登ろうチョモランマ登山隊」と言ってしまう自由さ。しかし生い立ちはいじめられっ子でダメダメだったとも。悲しい事故にも見舞われてしまいますが、この本を読むと、インタビューでの「山登りはなんでもあっていい」という言葉の背景や、イッテQ登山部の顧問が貫田さんである理由が、とっても納得できます。