株式会社KUKKA/佐藤泰那さん|わたしにとって、山は「人とつながれる場所」

山歩のひと
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フリーペーパー『山歩みち』2020年夏 035号掲載

※この記事はフリーペーパー『山歩みち』に掲載されたものに一部加筆、修正を加えたものです。基本的には取材時の内容となっておりますので予めご了承ください。

Profile 

さとう・やすな 大学卒業後、枻出版社に入社。2009年の立ち上げ期から『ランドネ』編集部に所属し、2018年から編集長。2020年、独立。株式会社KUKKAを創業。『ランドネ』編集長も兼務している。 http://kukka-moi.com/

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山の楽しさや感動を分かち合う場に

――KUKKAでは、どんなことを行っていく予定ですか?

佐藤 山登りをする人のためのコミュニティの運営とコンテンツの制作です。コミュニティは「KUKKA party」という名前で、メンバーになると月2回の定例イベントや不定期のフィールドツアーに参加できます。SNS上で情報交換や山行の報告をしてもらったり、メールマガジンを配信したりもします。

 また、(四角)友里さんや(仲川)希良ちゃん(※1)をはじめ、これまで公私ともに一緒に山を楽しんできた「KUKKA friends」として参加してもらい、〝ちょっと先の先輩〟的な立場で、イベントで話をしたり、記事を書いてもらいます。とはいえ、主役はあくまでメンバーさんたちで、山の楽しみを共有しながら、知りたいこと、学びたいことを実現させていく場にしていこうと考えています。

――四角さんや仲川さんを、講師や先生ではなく、「friends」としたのは?

佐藤 講師や先生って参加者に何かを「教える」立場ですよね。ただ、KUKKA friendsになってくださった方たちが声を揃えて言ってくださるのは、先生と生徒という関係で何かを教えていくよりも、一緒になって山のことを勉強していくというスタンスの方が、のびのびと自分の想いや経験を伝えられるんじゃないか、と。また、「KUKKA friends」には山岳ガイドの方にも加わっていただくのですが、やはりガイドとお客さんという上下の関係ではなく、仲間として一緒に試行錯誤しながら山登りの楽しさを伝えてくださる方たちでして。それでfriendsとしたんです。

 そうしたフラットな関係性は、メンバー間でも大事にしたいですね。メンバーの中には当然、「経験年数の長い人/短い人」「体力に自信のある人/ない人」などがいて、ともするとそれが上下関係になりがちですが、それぞれが自分の得意分野を活かし合い、みんなで成長していけるような場にしていきたいと考えています。

――そもそも、なぜ登山者のコミュニティをつくろうと?

佐藤 私はもともと、好きなものとかあまりなく、なにかにのめりこむタイプではありませんでした。でも、山登りは長く続いている。それはなぜだろうって考えたとき、人との出会いに恵まれていたからだと気づいたんです。ともに楽しみ、刺激をもらえる山友や、いろんなことを教えてくれるプロフェッショナルな方たちに巡り会えたからこそ、私自身、飽きずにずっとやってこられた。ただ、それって、私が雑誌の仕事をしているからこそ得られた面は多分にあって、一般の方たちはそうした出会いがないまま、山から離れちゃうことも多いんじゃないかと。だからこそ、一人でも多くの方が、山の楽しさや感動を分かち合える仲間や、一歩先の世界を教えてくれる先輩に出会える場所を作りたいなと思ったんです。

――『ランドネ』から離れて、別の枠組みをつくったのは?

佐藤 たしかに、ランドネのインナーサークル的にコミュニティを作ることもできました。ただ、やはりランドネは多くの読者がいる媒体なので、きちんと完成されたかたちでアウトプットを出していく必要があります。私がやりたかったのは、山に行く前の試行錯誤の時間とか、最終的にかたちになるかどうかわからない過程も含めて、メンバー同士で共有することだったんです。なので、ランドネとは別に、少人数で、安心してなんでも相談したり、言い合える場を作りたいなと。規模としては30人ぐらいからスタートして、年に3~4回募集して、ゆっくりと広げていくつもりです。

右は四角さんの著書『一歩ずつの山歩き入門』、左は仲川さんの著書『山でお泊まり手帳』。ともに佐藤さんが編集を担当した

「ランドネ」が大切にした多様性

――佐藤さんが山登りをはじめたきっかけを教えてください。

佐藤 新卒で枻出版社(※2)に入ったとき、同期の女性5人のうち2人が、山登りが好きな子で。それで急に身近に感じるようになり、社会人2年目の夏に山好きの叔父に白山(※3)に連れていってもらったんです。

――初登山はいかがでした?

佐藤 雨に降られたり、ブヨに刺されたりもしたんですけど、きれいな花を見つけて写真を撮ったり、叔父が持ってきてくれたオレンジを食べたり、心から「楽しい!」と思える瞬間瞬間がたくさんあったんです。体力にはまったく自信がなかったのですが、山登りの「歩けば、たどり着ける」ところも自分には合っていたんだと思います。

 そのころの私って、いつも時間ややるべきことに追われていたというか。山はその対極で、自分のペースで好きなことを楽しんだり、感動できて、それがすごく心地よかったんです。初登山以降は、山好きの友人と月1~2回のペースで、丹沢や奥多摩に登るようになりました。

――ランドネが創刊されたのも、そのころですよね?

佐藤 私は別の編集部にいたので、最初の数号はお手伝いとして関わらせてもらい、4号目から正式に編集部員になりました。

 ランドネを作っていくうえで大事にしていたのは、読者と一緒に楽しみながら雑誌を作り上げていくことです。編集部から一方的に情報を発信するのではなく、山のプロフェッショナルな方たちに教えてもらいながら、雑誌も読者も一緒に成長していければいいなと。実際、ランドネらしさみたいなものは、編集部が作ってきたというより、読者や関わってくださった方たちが「こういうのがランドネっぽいよね」とどんどん生み出していってくれた感じです。

 また、初心者を応援することを大切にしていましたが、「ランドネの読者はこういう人」と区切りたくはなくて、山やアウトドアが好きであれば、どんな人でも受け入れていきたいとも思っていました。誌面に、アウトドア経験のないモデルの女の子たちが登場する一方で、天野(和明)さんや高桑(信一)さん(※4)のような方たちに出ていただいたのも、関わってくれる人の多様性から、私たちの想いを感じとってもらえたらなと考えていたからです。

――ランドネの創刊当時って、山でファッションを楽しむという発想自体ほとんどなかったし、ファッションモデルの女性がウェア紹介のページに出ることはあっても、実際に山に登ったりすることはなかったですよね。それまでにないスタイルの雑誌だったわけですが、作っていくうえでの苦労も多かったのでは?

佐藤 たしかに「おしゃれを楽しみながら、自分らしく山に行こう」というスタンスは、当時の山の世界では「異色」だったと思います。そのため、はじめのころは「山をなめている」と言われたり、山で撮影をしていると、何も悪いことはしていないのに「チャラチャラしている」とほかの登山者の方に怒られたりしていました。私たちとしては、そうした周囲の言動によって、ランドネを読んで「山に行ってみよう」と思ってくれた読者が傷つかないようにしていきたいと、いつも思い続けていましたね。

 そんな状況のなかでも自分たちのやっていることを信じられたのは、先ほども名前を挙げた天野さんや高桑さんをはじめ、山の世界のプロフェッショナルな方々が支えてくれたおかげです。たとえば、天野さんは、早い時期に取材を通じてお会いしていて、はじめてお話をさせていただいたときからランドネを応援してくださっているんです。山が本当に好きで、自分の登山を楽しみつつ、その魅力を多くの人に伝えたいと思っている方って、初心者にもオープンな気持ちで接してくれるんだという実感を持てていたからこそ、つらいことがあっても心折れずにいられたところはありますね(笑)。

――多様性ということで言えば、緊急事態宣言中に刊行された20207月号(5月末発売)の特集「100人の山への思い」は、まさにランドネらしさがあふれる企画だなと。この号はもともと別の特集を予定していたんですよね?

佐藤 そうです。でも、新型コロナウィルスの感染が拡大し、登山も取材もままならない状況になってしまって。それでも当初は企画を変えず、「限られたなかでできることをしよう」と考えていたのですが、後輩編集部員から「特集を変えた方がいいんじゃないか」と提案があったんです。それで打合せをするなかで、外出ができない今、知りたいのは、新しい道具のことでも、新しい山の情報でもなく、私たちみんなのなかにある山を愛する気持ちなんじゃないかと盛り上がり、じゃあできるだけたくさんのエピソードを集めようとなって、手分けして依頼をはじめたんです。

 幸い、みなさん、山に行くこともできず、仕事も流れてしまったりして、時間を持て余していらっしゃったのか、快く受けてくださって。そうやって、あの特集ができあがったんです。

――緊急事態宣言で山に行けないというだれもが遭遇する初めての状況で、ランドネとして、ひとつのメッセージを出すこともできたと思うんです。でも、それはせず、山に関わる多くの人の声や想いを集めた。あの特集からは、答えはひとつではないこと、けれどもみなが山を恋しく思い、また登れる日を待ち望んでいることが伝わってきました。

佐藤 実際、当時の私たち自身が「あれがダメ」「これがダメ」という世の中に辟易していたんです。だから、答えを提示するのではなく、一人一人が自分の山登りを考えるきっかけになってくれればと思っていました。

山や自然に親しむ人生はきっと豊かに

――「ランドネ山大学」というリアルな場での読者との交流をはじめたきっかけは?

佐藤 読者も世のなかも変わっていく過程で、雑誌だけ作っていると、読者が求めているものと離れてしまうんじゃないかという感覚がありまして。それで読者と定期的に会うための場として、2012年からランドネ山大学をはじめたんです。

 立ち上げに協力してくれたのは、登山ガイドの渡辺佐智さん(※5)です。佐智さんは、お客さんと一緒に山を楽しむというスタンスで案内してくれるガイドさんで、最初に私と佐智さんでコンセプトなどを考え、20人ぐらいの読者を集めて日和田山(※6)を登ったのが第一回目でした。それで「やっていけそうだね」となって、その後も続いていくことになったんです。

 また、去年(19年)の3月には、「ランドネたのしみ隊」という読者インフルエンサーが集まる企画をはじめました。編集部と一緒に何かを作っていきたい、発信していきたい、という気持ちを持ってくれている読者がたくさんいたので、「だったら、そのための場を作ってしまおう」と。誌面などで募集をしたら100人ぐらいから応募があって、実際に参加してくれているのは80人ぐらいかな。今はその人たちとイベントをやったり、誌面に登場してもらったりしています。

――やりたいことが、雑誌という枠に収まりきらなくなってきたんですね。

佐藤 そうかもしれません。私自身、山登りに出会って人生が変わったし、そういう読者の姿もたくさん見てきました。だから、私の根っこにはいつも、一人でも多くの人が山やアウトドアを楽しみ、人生を豊かにしてほしい、という願いがあるんです。紙の雑誌はもちろん大好きですが、自分のやりたいことを実現するには、必ずしも紙にこだわる必要もないのかなと。

――お話を聞いていると、KUKKAが生まれたのは自然な流れだったんだなと感じます。

佐藤 KUKKA partyを運営するのは私ですが、私の色を出していきたいという考えはまったくなくて。むしろ、どんな人にとっても「自分の居場所」だと感じてもらえるようにしていきたいですね。

――KUKKAはフィンランド語で「花」を意味します。佐藤さんがランドネの編集長になったときに書いたnoteの文章(20181017日)でも、花という言葉を強調されていますよね?

佐藤 (自分の書いた文章を読みながら)ほんとだ……すっかり忘れてました(笑)。

――(笑)。きっと「花」という言葉から想起される美しさや色鮮やかさが、佐藤さんの理想のイメージなのかもしれませんね。最後に、佐藤さんにとって山とは?

佐藤 人とつながれる場所、ですね。

取材日=2020年6月19日

写真=平山訓生、取材・構成=谷山宏典、初出=『山歩みち』035号

《注》
※1|四角友里さんはアウトドアスタイル・クリエーター、仲川希良さんはモデル/フィールドナビゲーターとして、ランドネのほか多方面で活躍。
※2|『ランドネ』を発行する出版社。佐藤さんははじめ、ハーレーダビッドソン雑誌の編集部に配属された。
※3|石川県と岐阜県の県境にまたがる標高2702mの山。日本三霊山のひとつに数えられる。
※4|天野和明さんはクライマー/山岳ガイドで、09年には日本人として初めてピオレドール(金のピッケル)賞を受賞した一人。高桑信一さんは日本を代表する沢ヤで、渓流ガイド・フリーライターとして活動する。ともに山の世界では一線級のプロフェッショナル。
※5|『ランドネ』で「やまのさち」を連載する登山ガイド。冬から春はバックカントリーガイドとしても活躍。
※6|埼玉県・奥武蔵にある標高305mの里山。初心者向けの山として人気。

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