赤岳鉱泉が8月1日から営業再開。 急遽、休業方針を変更した決意を柳沢太貴さんに聞く。

山歩のひと
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Profile

やなぎさわ・たいき
1988年、長野県生まれ。八ヶ岳にある赤岳鉱泉・行者小屋の四代目当主。専門学校を経て、21歳で小屋番となる。現会長である父、愉快な山小屋の仲間たちとともに、様々なイベントや試みを仕掛け、登山やクライミング業界の発展に尽力している。https://userweb.alles.or.jp/akadake/i/index.html

八ヶ岳の盟主・赤岳のたもとにある通年営業の山小屋・赤岳鉱泉と行者小屋。
4月12日の段階で11月末までの休業発表をしたことは、登山者だけでなく、山岳業界にも大きな反響と影響を与えた。

そして7月20日、赤岳鉱泉宿泊営業の再開を発表することになった。

それぞれの決断に至る経緯や山小屋経営のあり方について、
赤岳鉱泉・行者小屋4代目の柳沢太貴さんに話を聞いた。

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赤岳鉱泉休業という決断

――休業を決断するまでの経緯や考えを教えてください。

 風向きがガラっと変わったのは、3月25日の小池百合子都知事の会見からです。その前の3連休は例年通りの宿泊者数でしたが、小池知事の会見後、翌週末のキャンセルが相次ぎました。150人の予約が50人に減り、実際には23人がお泊りになっただけです。

 これはただ事ではないと思いました。感染症でこれほどのキャンセルがあることに脅威を感じたし、「山に人が来ない」という、これまで経験したことがない状況になりました。

 夏になっても、登山者がやってこないのではないかという危機感を持ちました。さあ、どうする? と考えたときに、自分たちの命を守ることを最優先にすべきだと判断しました。それは人と会わないことでもあり、無念な気持ちはぬぐい切れませんでしたが、お客様を迎え入れないということになります。すなわち休業です。

 自分たちの命というのは、僕自身の命であり、そして家族同様である山小屋のスタッフ達の命です。スタッフ達を守るには雇用を維持しなければなりません。人件費や山小屋の管理維持費を計算しました。休業期間中の支出は算出できます。けれどリスクをかかえたまま開業し続けて、万が一のことがあったときの損害は計り知れません。どちらも赤字になりますが、それであれば休業をしようと決めました。

 赤岳鉱泉・行者小屋は、去年で創立60年。通年営業の山小屋であり、60年間一日たりとも休んだことはありませんでした。果たして休んでよいのか、わかりませんでした。けれど、世の中全体が直面している危機であり、これまでの常識にとらわれてはならないと思いました。状況に応じて柔軟に変化していくことが大切だというのは、これまでの実体験で学んだことです。

 team KOIという山の同業者たちの集まりに参加し、コロナについて対策や対応を考え、発信してきましたが、メンバーの医師が、「これは壮大な社会実験」といいました。未知のウイルスに立ち向かっているのはみな同じであり、なにが正解であるかわかりません。

 ただ、休業するからには、僕はこれを前向きに捉えようと思いました。再開に向けて有意義な時間を過ごし、充分な準備をすることです。また、万が一周辺で遭難事故が発生した場合は、これまで通り、いつでも出動できるように準備していました。

――休業期間中、山小屋のみなさんはどんなことをしていましたか。

 まずは、山小屋のメンテナンスです。傷んでいる床材を張り替えたり、外壁を塗ったり。例年通りの作業ですが、アイスキャンディの解体や登山道整備も行いました。

 普段できなかったことにも目を向けました。皆さんが「stay home」と自粛しているときでしたが、僕たちは自分たちの山小屋で「stay place」といっていました。スタッフの仲は普段からよくて、明るい雰囲気だと思っていますが、もっと仲を深めようと、山小屋での夕ご飯の時間もゆったりと過ごしました。普段話せなかった話もできました。

 山小屋周辺の散歩もしました。こんなに長い時間山の中で過ごしていながら、周囲の自然に目を向ける余裕が、なかったんですよね。赤岳に登るのは、救助と開山祭のときだけ、登山道を歩くといっても赤岳鉱泉までの出勤のほかは、登山道整備です。心を落ち着けて、八ヶ岳の自然を味わえたことが、とってもよかったです。スタッフも僕も、心の充電ができたと思います。

 僕は、10年間山小屋の主人をやってきましたが、お客様への良質なサービス、おいしいごはんを作る、山小屋をきれいに整えるというのは当たり前であって、その当たり前をこれからも大切にしていきたいと思っています。しかし、これを実現するには、自分ひとりの力ではできない。一緒に働いているスタッフの力が必要だということを、よくよく感じています。だから、スタッフとのコミュニケーションは大切です。スタッフ達にいかに居心地よい環境を提供し、仕事へのモチベーションを高めてもらうか、これはひょっとしたらコロナ感染対策よりも難しくて、答えのないものだと、本当に思います。

山小屋を受け継ぐ、ということ

――山小屋の経営者になり10年ですね。それまではどんなことを?

 山にはまったく縁がなかったです。6歳からカートを始め、中学生のころには、レースの世界で生きていくんだと思うようになりました。専門学校生だった18歳のとき、この年を最後の勝負にしようと全日本カート選手権に挑戦しました。ここで結果を残せなければ、フォーミュラの世界にはいけない。スポンサーを集めて、すべてをつぎ込み、あとはドライバーである僕が努力をすればチャンピオンになれるという必勝の体制を整えました。

 ところが、初戦の1ヶ月前に母が末期がんで余命いくばくもないことがわかりました。僕をカートコースに連れて行ってくれるのは、いつも母でしたし、ミハエル・シューマッハのファンで毎月F1雑誌を買ってきては、「将来はF1レーサーになるんだよ」というのが口癖でした。最後、集中治療室で、「私の死に目に立ち会わなくていいから、レースに行ってきなさい。ちゃんと勝ってきなさい。あなたの人生がかかった1年なんだから」と、すごく苦しそうに言ったことを、鮮明に覚えています。結局、3位を走っていたときにクラッシュしリタイヤ。雨の日でしたが、レース後に母の死を知りました。

 チャンピオンの権利を残して挑んだ最終戦では、決勝でガソリンタンクの蓋が壊れて、ガソリンが噴き出しリタイヤします。ペースもよかったのでイケイケだったのですが、これでチャンピオンを逃しました。結果がすべて。レースの道はここで終わりました。

 その後、専門学校で自動車整備士の資格を取り、就職活動が始まるころ、父に「山小屋もあるぞ」と言われたのが、家業を継ぐことを考えるきっかけだったと思います。男親ひとりで3人の子供を育てながら、山小屋の仕事をしている父の姿を見て、これ以上苦労をかけるわけにはいかないと思いました。

――先代である父親譲りのところもありますか?

 山小屋を受け継いでからはおやじを親としてではなく、完全に上司とみるようになりました。お互いいくところまでいってしまった感もありますが、父と息子ゆえの甘えがでないように、突き放してくれたことはよかったと思っています。僕たち父と息子の関係にけじめがなくなれば、それは必ずスタッフに影響し、ひいてはお客様にも影響が及ぶと考えます。

 父は、山小屋の仕事はすべて自分で出来るようにならなければいけないと言っていました。大工仕事も除雪も厨房も掃除も、誰にも頼らずできるようにならなければいけない。それが山小屋であると。本当に困ったときは、家族や仲間以外は誰も助けてくれないんですよ、僕はそれを経験的に知っています。

今回、山小屋へのクラウドファンディングに赤岳鉱泉・行者小屋はは参加しませんでした。これは、父の影響かもしれません。自分たちの力でやることを貫きたいんです。

 大きな転機は、第1回アイスキャンディフェスティバルです。僕が山小屋に入って年数が浅いころ、父の体調が思わしくなくフェスティバルに関われなくなったのです。当時は人前で話をするのも苦手でしたし、準備も当日も大変でした。けれど終わったときには、苦労よりも喜びが勝っていました。自分が中心になることで、見えてくるものも変わってきました。レースでは他者を蹴落として自分が頂点にのぼることを考えていましたが、山の世界では人の温かみを感じたし、スタッフ達と一緒にやっていくことがこんなにも楽しくて、実りのあることなんだと実感しました。

 赤岳鉱泉・行者小屋では、いろんなイベントがあります。アイスキャンディフェスティバル、ギョウザ祭り。昨年はボッカ体験をしました。ボッカって、本当に楽しんですよ。20歳のスタッフが「これは、お客様にもやってもらったらいいのでは」と。普通だったら「なにそれ?」と言われて終わるかもしれませんが、やってみました。これらのイベントは山岳ガイドやメーカー、それにお客様も運営側で深く関わってくれています。

再開時期を繰り上げる、という現時点での判断

――7月からテントサイトを再開し、いよいよ8月からは、赤岳鉱泉の宿泊営業の再開を決めましたね。

 引き金はふたつありました。ひとつは、日々コロナのことを学んだり、team KOIのみなさんと情報交換するなかで、これは再開できるかもしれないと、思い描けるようになったからです。もうひとつは、7月から赤岳鉱泉と行者小屋のそれぞれのテントサイトを再開するというアナウンスをしたとき、赤岳鉱泉の宿泊営業が始まると誤解される記述があり、たくさんの電話をいただいたことです。「宿泊予約をしたい」「いよいよ宿泊再開なのか」と毎日電話が鳴りやみませんでした。こんなにも多くの方々が、僕たちの山小屋の宿泊の再開を待ってくれているのかと実感しました。

 さらにいうと、人類が新型コロナウイルスと長期にわたり共存せざるを得ないことは必至です。当初の予定通り11月末まで休業をし、12月から営業を再開しようとしても、第2波や第3波で再開できるという保証はありません。山小屋の存続やスタッフの雇用を守るためにもできる時に営業し、さらなる最悪の事態にも対応ができるよう少しでも貯えを増やしておきたい、という経営的な観点もありました。

 それからスタッフ全員が集まり、丸2日間話し合いました。再開させるにはどうしたらよいのか。お客様が来館してからお帰りになるまでの一連の動作をイメージしながら、各所での感染予防対策について考えました。また、スタッフの仕事をすべてリストアップし、自分たちの身を守りながら、山小屋全体で感染予防を講じるにはどうしたらよいのかも考えました。クタクタになった2日間でした。

 感染予防対策に関する詳細は、赤岳鉱泉・行者小屋のホームページに掲載しました。とても細かなことまで書いてありますが、これを読んでいただき、山小屋がどんなことをしているか理解していただきたいと思っています。そして感染予防は山小屋だけが努力してもできることではありません。登山者のみなさんにもご協力いただきたいと思っています。

 山小屋の内部には、各所に仕切りや感染予防の工夫を施しています。けれどこれらを作るとき考えたのは、お客様がどう感じるかです。もちろん、感染予防がもっとも大切です。しかし、それだけではありません。お客様が心地よく過ごしていただけないのだったら、それは再開する意味もないかもしれません。

 僕自身、山が嫌いだったんですよ。1年目の夏は、辛くて嫌でいつ辞めようかと思っていた。それがスタッフ達や山に来る人たちのことが好きになって、山が好きになり、いまではこの仕事が大好きです。山には人を変える力があるんです。だから、みなさんにも山に来たら、思いっきり楽しんでもらいたいと思っています。

 山の仕事は生きるか死ぬかの世界です。とくに冬のレスキューに行くときは緊張します。レースも同様に生死のはざまで競争していました。だからこそ、ヘルメットをかぶるとか車輪のナットをきちんと締めるといった基本的なことが重要でした。それは山でも同様です。最悪の事態を想定し、準備をします。ワンミスでアウトになるときもあるのですから。コロナ感染対策においても、マスクなどの装備を準備する、飛沫の行方に気を付ける、手指消毒をするといった基本的なところを重要視しています。

 この先も、刻一刻と変化していく感染状況や社会情勢を鑑みながら、営業形態を判断していきます。赤岳鉱泉のSNS又はHPで適宜お知らせします。

――そして、これからの山小屋は?

 ヘリコプターの空輸費高騰、機体やパイロット不足、山小屋の人手不足など色々あります。赤岳鉱泉・行者小屋では、facebookとInstagramの発信に力を入れています。ふたつ合わせると30,000件以上のフォローをいただくようになりました。SNSの目的のひとつは、山小屋の日常や小屋番の仕事を紹介し、小屋番ってこんなに楽しくてやりがいがあるんだよと知ってもらうことです。実際にSNSを見て楽しそうだからと、アルバイトに来てくれる人も増えました。人手不足ではありますが、まだまだ工夫できる余地があると思っています。

 そのほかの問題についても、正直に言えば解決策がわかりません。けれど、これまで同様、スタッフ達と、ひいては八ヶ岳山域全体の山小屋の経営者たちと話し合って、道を探っていきたいです。一人ではできないことが、みなと話し合い力を合わせれば、可能性が広がるからです。

 八ヶ岳には21人の経営者、34軒の山小屋があります。コンパクトな山域で風通しもよくフレキシブルに動けるので、議論を重ね、共通認識を持ちながら、それぞれの個性を活かした経営をしていきたと思っています。


1泊2食付き 11,000円。個室は別途 4,000円~
赤岳鉱泉tel. 090-4824-9986

https://userweb.alles.or.jp/akadake/i/index.html

写真=平山訓生
取材・文=柏 澄子

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