【推し企画】山歩みちライターと編集部員が、自分の好きな登山に関する「推し」映画や本などについて個人的な想いのみで語っていきます!
『八甲田山』あらすじ
「冬の八甲田山を歩いてみたいと思わないか―。」
引用:amazon
日露開戦を目前にした明治34年末。寒地装備、寒地訓練が不足していた帝国陸軍は、ロシア軍と戦うために厳冬期の八甲田を踏破し、寒さとは何か、雪とは何かを調査・研究する必要があると考えていた。その命を下された青森第5連隊の神田と弘前第31連隊の徳島は、責任の重さに慄然とする。冬の八甲田は生きて帰れぬ白い地獄と呼ばれているからだ。雪中行軍は双方が青森と弘前から出発し、八甲田ですれ違うという大筋のみが決定し、細部は各連隊独自の編成、方法で行う事になった。
「この次お逢いするのは雪の八甲田で―」二人はそう再会を約束して別れたのだったが…。
八甲田山シネマコンサートに行ってみた
映画館でリバイバル上映を見つけたら、必ず観に行っている『八甲田山』。毎年あるわけでもないので、数年に一度の偶然の機会。そんな中でなんと「八甲田山シネマ・コンサート」というものがあることを知った。映画を上映しながら音楽はフルオーケストラの生演奏、という初耳のイベント。一体誰がそんなことを思いついたんだと思いながら調べると、どうやら初めてではなく好評につき再演とのこと。しかも映像はデジタルリマスター版。
古い映画なので、これまでは画面がとにかく暗くて、屋内や夜のシーンでは、えっ、今誰が映ってるの?というくらいほとんど見えなかった。レンタルDVDで観たこともあるが、どんな角度に動いても見えなかった。デジタルリマスター版はそれが見えるのだろうか。しかも会場はクラシックやオペラ・バレエなどが上演されているオーチャードホール。
さらに上演前には、北大路欣也さんと秋吉久美子さんのトークもあるという。高倉健さんに並び、もうひとりの主役だった欣也さん。健さんをはじめ、三國連太郎さん、丹波哲郎さんなど八甲田山に出演していた俳優さんは既に亡くなっている方も多く、撮影現場を知る人の話を聞ける機会はもうないかもしれない。
行く気まんまんでチケット代を見ると1万円。二度見して固まった。まさかそんなに高いとは。しかし映画、クラシックコンサート、トークがセットなのだ。1万円にビビりながらも行かないという選択肢はなく、三つセットだから、と自分に言い聞かせて購入。
その結果、暗くて見えなかったシーンもクリアに再現されていて感動、そして生演奏も今ここで音が出ているのが信じられないほどタイミングもぴったりで映像と合致。トークは短すぎたが、これまでに自分が観た『八甲田山』史上、最も高品質の映像と音での鑑賞となり、あの時ケチらなかった自分に感謝した。
遭難の悲劇を会社に置き換えてみる
あらすじにもある通り、日露戦争の準備のために、北大路欣也さん率いる青森隊と、高倉健さん率いる弘前隊が八甲田山での雪中行軍を命じられる。しかし命じるといっても「冬の八甲田山を歩いてみないか」という言葉で、あくまで自主的なものとして誘導するのだ。今の時代ならパワハラである。
例えばオリンピック規模の大きな案件があり、社内で2チームに分かれて担当することになった。それぞれのチームに上司とリーダーがいる。
各リーダーはメンバーを構成し、着々と準備を進めていたが、現場やクライアントについて何もわかっていない上司が口を出してくる。しかも、同じ社内なのにもう一方のチームの内容を気にして、自分のチームの方が評価されるものになるよう、計画を勝手に変える。プロジェクトが始まっても、リーダーを無視して上司がひっくり返す。
その結果、指示系統が破綻して現場は収拾がつかなくなり、プロジェクトは大失敗に終わる。といったストーリーだ。大きな会社では今でもありそうな話ではないだろうか。
しかし『八甲田山』でいう「大失敗」はお金や内容ではなく、200名近くもの遭難死だったのだから、背筋が凍る。
リーダーが悪かったのだろうか
役名ではイメージがわかないと思うので名前で説明するが、これで、例えば健さんや欣也さんの演じるリーダー像が明らかに能力が足りなかったと思えるならまだわかる。しかし決してそんなことはなく、二人とも素晴らしいリーダーなのだ。
健さんはクールでドライな先輩、欣也さんは若くて真面目な後輩。タイプは異なるけれども、各隊のことを考え、協力し、プロジェクト成功のために周到に準備をする。
健さんのリーダーとしての振る舞いは見ていて惚れ惚れする。装備や食料についても緻密に計算し、指示の出し方も理由が添えてあり的確。メンバーや上司に対する態度も毅然として揺るぎがない。山中で協力してくれる村の案内人に対しては、軍人としての威厳を保ちながらも、きちんと礼儀を尽くす。
厳しい峠越えの道案内をしてくれた 秋吉久美子さん扮する村娘に前を歩かせ、娘と別れる時に「案内人殿に~、かしら~、右!」と敬意を表するシーンは、今思い出しても胸が熱くなる。軍人が、村のましてや小娘にそんな態度を取ることなんてあり得ない時代だ。
欣也さんは雪山の経験がない中で、青森から弘前の健さんの家までわざわざ相談に行ったり、予行練習を計画に入れるなど、経験不足を補おうと奔走する。しかし欣也さんの上司である三國連太郎さんが、理不尽全開で全てをぶち壊していくのだ。上下関係の元祖ともいえる軍隊で、絶対的な存在である上司に反対できるだろうか。反対はできない、でも納得はいかない、しかし自分が正しいとも限らない。リーダーはどうするべきだったのだろうか。
恐らくこの映画については「雪山は怖いもの」というイメージが大きいかもしれないが、本当の怖さは「リーダーという立場の重さ」だと思う。
冬の八甲田山に行ってみた
この映画にはマニアックなファンも多く、撮影秘話や裏話もインパクトが強くて面白い。カメラマンだった木村大作さんも、色々なところでこの時の撮影のことを語っている。
そんな冬の八甲田山を自分も体験したくて、 ガイドさんがいないと絶対迷って死ぬ、というイメージでスノーボードのバックカントリーツアーに参加した。
ロープウェーが山頂に近づくにつれて視界は真っ白、建物から出るのさえ怖いほどの暴風雪。悪天候には比較的強い私もさすがに中止だろうと思っていたが、八甲田山ではよくあることなので行くとのこと。少し滑ると、風がこない斜面になるらしい。
体が押し進められるほどの強風、痛いほど顔面にうちつける雪、2~3m先も見えない中、モンスター樹氷の間を必死でついて行った。リピーターさんが多いのでガイドさんはどんどん行ってしまう、ちょっとでもミスると胸までの深い雪に埋もれて立てなくなる、前の人を見失ったら終わる。ガイドさんがいても死ぬと思った。
後で聞いたが、普通のロープウェーは風速15~20mで運行中止になるが、八甲田山ロープウェーは風速25mまでと強いらしい。八甲田山のガイドさんは多分、他のエリアよりクレイジーだと思う。
二回目はバックカントリーではなくコースを滑るために友人と行ったが、前回の恐怖の八甲田と同じ場所とは思えない晴天で、果てしなく広がる樹氷原。この景色をつまみに何時間でもビール飲めるなんて話をしながら、こんな深い雪山を200人も率いて歩くなんて絶対イヤだと、また映画に思いをはせていた。
『八甲田山』は自分への喝
事故もなく安全に登山を続けられていると、それはいいことなのだが、どこかで平和ボケのようなゆるみが生まれているような気もする。
『八甲田山』はほとんどが山中でのシーンである。普通のエンタメ作品のように、数々出てくる課題をクリアしていくことはなく、徐々に遭難していく、苦しくてつらいシーンが長く続く。判断の必要な分かれ道で、常に最悪のシナリオに進んでいくのだ。
この映画を何度も見てしまうのは、事前準備や現場での判断がいかに大事なのかを毎回改めて思い知らされ、自分に喝を入れてくれるからなのかもしれない。いつか高いテレビを買ったら、DVDのリマスター版を買いたいと思っている。Blu-rayがいいのか?そんなことも今はわからないが、それまでは映画館で何かの機会に上映されるのを、地道に探し続けるつもりだ。
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