映画『巡礼の約束』チベットの人々の心をもっと知りたくなりました(2020年2月8日公開)

junrei-no-yakusoku-1 ちょっと休憩

ただの映画好きの山歩みち編集部員が、映画に関する深い知識はありませんが、小市民の浅い視点で、山やアウトドアに関する映画を紹介していきます。

『巡礼の約束』あらすじ

ある日、突然、ラサへの巡礼の旅に出ると夫に告げる妻。その決意には、ある秘密があった。旅に出た妻を追ってくる夫。そして妻の実家に預けられ、心を閉ざしていた前夫との息子もやってきた。後悔、嫉妬、わだかまりを抱えながらも、3人は少しづつ近づき、聖地ラサを目指して旅を続けることになるのだが――。

チベットの圧倒的な風景のもと、聖地ラサをめざして巡礼の旅をする『巡礼の約束』。日本初のチベット人監督による劇場公開作として注目された『草原の河』のソンタルジャ監督最新作です。「中国で最も美しい村」にも選ばれたチベット高原の秘境ギャロンから聖地ラサへ、最も丁寧な礼拝方法とされる五体投地での巡礼を決意をした妻を追いかけて、夫と血のつながらぬ息子が歩きつづける巡礼の旅が新鮮な感動を呼び、第21回上海国際映画祭 審査員大賞・最優秀脚本賞を受賞の他、各地の映画祭で受賞を重ねました。

映画『巡礼の約束』資料より

五体投地で1,900kmといえば青森から鹿児島まで

今回はチベットの大自然の中を歩き続ける巡礼の映画ということで、これは観たい!と試写会に行ってきました。 巡礼の旅はいわゆる登山ではないのですが、ハイキングカルチャーの普及もあり、信仰心とはまた少し違った「ロングトレイル」としての人気もあります。

五体投地をしながらラサを目指すウォマ  ©GARUDA FILM

まずは「五体投地(ごたいとうち)」をご存知でしょうか。

・五体投地とは、両手・両膝・額(五体)を地面に投げ伏して祈る、仏教で最も丁寧な礼拝の方法

ということなのですが、この作法でラサ巡礼をするのがとてつもなくハードであることは、なかなかこの一文からは想像しがたいのではないかと思います。

合掌して祈りながら三歩ほど歩き、ひざまづき手を伸ばして完全にうつ伏せになり、おでこまで地面につけて合掌して祈り、そして立ち上がってまた三歩ほど歩き、、、を繰り返しながら進みます。全身を使うため、たった数回で間違いなくやめたくなるハードさです。これを砂利道でも、舗装道路でも、雨で泥だらけの道でも、雪道でも、延々と続けるのです。

さらにチベット仏教の聖地であるラサは、富士山よりも標高の高い都市。今回の旅の起点となるギャロンという地域からラサまでの距離は、地図で調べてみたところ約1,900kmでした。これを日本で例えると青森から鹿児島までとほぼ同じ。

そんな距離を五体投地で巡礼すると言い出した妻ウォマ。その妻を追って、夫のロルジェと、ウォマの前夫との子供であるノルウが加わって物語は進みます。前半はウォマが巡礼に出た理由が明らかになり、ウォマの後悔、それに対するロルジェの嫉妬と苦悩。後半はロルジェと血のつながらない息子ノルウの関係性の変化が描かれています。

妻ウォマのために夫ロルジェは巡礼の準備を整えます  ©GARUDA FILM

信仰に救われるってこういうことなのだろうか

ウォマを連れ戻しに来たロルジェ、母と一緒に行きたい息子ノルウ  ©GARUDA FILM

三人ともが苦しい気持ちを抱えているのですが、誰が悪いとも思えず、どの立場と気持ちも理解できるので、見てるこちらも切なくて苦しくてたまらなくなりました。

特にロルジェの立場が何とも辛すぎるのです。妻の告白もショックだし、最終的には妻が前夫とした約束を守るために、その前夫との子供を連れて、ラサへ五体投地で巡礼するなんて。オレはいったい何なんだと、全て投げ出してもいいくらい。ちょっと自分だったら耐えられる気がしません。それなのにロルジェは黙って決めて、ウォマとの約束を守るために行動します。

それが決して聖人君子のように描かれているのではなく、普通の人間としてものすごく苦悩している姿をちゃんと見せてくれるのが、ソンタルジャ監督の手腕ではないでしょうか。私たちと同じような感情を持っている普通の人が、決断をして、行動に移しているのだと思うと、自分にもできる決断なのではないかと思えてしまう。そして、ロルジェの行動をはじめ、登場人物みんなの行動にはチベット仏教の観念が大きく影響しているのだなということも全編から感じられます。

もしかすると普通ならこれを「夫から妻への永遠の愛」などと表現するのかもしれません。もちろん愛も含まれるとは思うのですが、ここでは愛という表現があまり適さない感じがします。自分と相手だけでなく、ウォマの前の夫やノルウなども含めた、もっともっと大きなみんなの幸せのために行動しているような。

嫉妬、怒り、後悔などの感情には蓋をしたくなるものです。あるいはぶちまける人もいます。その感情を持つことは悪いことではなく人間なら誰もが持つもので、ただ、その感情を持った後にどうするのか、というところにその人の品性や本質が表れるのだなあ、と感じました。

映画の中で三人はみんな誰かのために行動します。妻のために、夫のために、母のために。巡礼は自分の願いを叶えてもらうためではなく、誰かのために祈るもの。 今まで神社でも、ご先祖様にでも、流れ星でも、願い事といえば身近な欲望をつぶやいていた我が身を改めるところから始めます。。。

もともとこの映画は、チベット文化の普及・継承に力を注いでいる、ロルジェ役のヨンジョンジャさんが、「故郷のチベットの人々のこころを伝えたい」という強い想いから企画し、ソンタルジャさんに監督を依頼したそうです。

お二人には「チベットの人々のこころ、ものすごく伝わります!」と声を大にしてお知らせしたい。

約束は守る。言葉ではなく行動が全て

 旅の中でロルジェとノルウの心が少しずつ通い合っていく  ©GARUDA FILM

そしてそんなロルジェの姿を見ながら、ノルウの心にも変化が起きてきます。旅の中で少しずつ、あ~、気持ち通じたなあ~とわかるシーンがいくつかあり、何度もジーンと胸が熱くなりました。

三人で焚火をしながら静かに歌うシーンが美しくて泣けて。

成長したノルウが歌を口ずさんでいるシーンで泣けて。

ラサに近づいたところでロバにちょっとイタズラするシーンで泣けて。

今の世の中、言葉にしなくちゃわからない、思ったことはハッキリ言う、というのが一般的になっているとは思いますが、いやいやまだ「言わなくてもわかる」という関係が確かにありました。むしろ、言葉よりも行動が全て。但しそれは、本当にお互いを思いやる心があることが前提で、どちらかがそっぽを向いていたら無理なのでしょう。

親の背中を見て子は育つと言いますが、世のお父さんが子供を連れて五体投地でラサへ巡礼すれば、その半年や1年でもうオレの子育て終了!といってもいいくらいの影響があるのではないでしょうか。子供にチャレンジさせるためではなく、父が誰かのために必死なところを見せるために。

ついにラサが見えるところまできたノルウ  ©GARUDA FILM

家族は、ツェルトで道の脇に寝泊まりし、焚火で食事を作りながら旅を続けます。周囲の人達も、彼らのために惜しみなく手を貸してくれます。長い旅なので季節も変わります。草原にぽつんと建てたツェルト、ノルウがまつげまで凍った姿で遠くを見ている姿、美しいシーンがたくさんあります。

荷物は付き添いの人が運びますが、自分で運ぶ時は足元にちゃんと線を引いたり目印を置いて、少し先まで荷物を置きに行って、また元の地点に戻ってやり直すのです。きっと少しは葛藤もあるのでしょうが、決してズルをしません。そんな祈りのためだけの純粋な日々を、少しうらやましくも感じてしまいました。 

もう感情移入しすぎて彼らがまるで実在しているかのような気持ちになってしまっています。ロルジェとノルウ、父子のこれからに幸あらんことを祈るばかりです。

どうもありがとうございました。

◆公開:2020年2月8日(土)より岩波ホールほか全国順次ロードショー

監督:ソンタルジャ|プロデューサー:ヨンジョンジャ|脚本:タシダワ、ソンタルジャ|出演:ヨンジョンジャ、ニマソンソン、スィチョクジャ 2018年|中国語題:阿拉姜色|英語題:Ala Changso|中国映画|109分|シネマスコープ|5.1chサラウンド|字幕:松尾みゆき|字幕監修:三宅伸一郎|配給:ムヴィオラ

公式サイト(詳細や予告編などは11月末公開予定):http://moviola.jp/junrei_yakusoku/