プロスキーヤー・医学博士 三浦豪太さん|親子登山の魅力は皆で想いを共有できること

プロスキーヤー・医学博士 三浦豪太さん 山歩のひと
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フリーペーパー『山歩みち』2013年秋 013号掲載

※この記事はフリーペーパー『山歩みち』に掲載されたものに一部加筆、修正を加えたものです。基本的には取材時の内容となっておりますので予めご了承ください。

Profile ※2013年時点

みうら・ごうた 1969年、神奈川県生まれ。モーグル・スキーの元オリンピック代表選手。12年順天堂大学大学院医学部にて博士号(医学)を取得し、現在はアンチエイジング研究を行う。父・雄一郎の登山サポートを続けながら、エベレストを含む8000m峰3座に登頂。

近ごろ親子登山を楽しんでいる家族を山で見かけることが多くなったが、ある意味〝究極の親子登山〞を実現したのが、三浦豪太さんではないか。今年5月、父・雄一郎さんとともに世界最高峰エベレストに登頂。80歳の雄一郎さんは世界最高齢登頂記録を更新した。豪太さんにとって、山とは、そして家族とは?

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原点はキリマンジャロ

――山との出会いは?

三浦:3歳のとき、父に担がれて富士山に登りました。ただ、僕はまだ小さかったこともあり、その富士登山の記憶はほとんど残っていないんです。はじめての登山らしい登山は、11歳のときのキリマンジャロですね。

――それは自ら登りたいと?

三浦:発案は父です。当時父は「七大陸最高峰スキー滑降計画」のまっただ中にいて、どうせキリマンジャロを滑るなら家族を連れていこうと考えたらしいんです。

そのときのことは、今でもはっきり覚えています。人生初の高山病にかかり、とにかく苦しくて。しかも、頂上へは深夜に登りはじめたので、マイナス20度ぐらいの寒さでした。でも、がんばって、がんばって登っていたとき、ふと背中があたたかくなった。振り返ると、まさに朝日が昇る瞬間で、空は濃い紫色から徐々に紅く染まっていく。眼下には雲海の間からアフリカの広大なサバンナが見渡せて。ほんとうにすごい景色でした。

振り返れば、その後モーグル選手として2度のオリンピック(※1)をめざしたのも、父とともにエベレスト登山に挑戦したのも、あのときキリマンジャロに登頂できたからこそだと思うんです。どれだけつらく苦しくても、一生懸命頑張れば、すばらしい景色に出会えるんだと教えてもらえたから。あの登山は僕の原点なんです。

※1│94年のリレハンメルと98年の長野の冬季五輪。

――その後、14歳でアメリカに留学していますね。

三浦:留学中は勉強とスキーばかりで、登山は近くの山をハイキングするぐらいでした。ふたたび山に真剣に取り組むようになったのは、父のエベレストプロジェクト(※2)がきっかけです。ちょうどモーグルの選手を引退し、アメリカの大学で勉強していたころです。

※2│98年、当時65歳の三浦雄一郎が、70歳でのエベレスト登頂をめざすことを決意して、プロジェクトは始まった。  

――エベレスト登山は、雄一郎さんにとっては毎回「最高齢登頂」という目標がありました。では、豪太さんにとってのエベレストとは?

三浦:03年のときは「ローツェフェースを見てみたい」という純粋な好奇心がありました。そこは70年に父が直滑降した斜面であり、登山家というより、スキーヤーとして興味があったんです。

08年は、5年前に登頂したとき曇っていてなにも見えなかったので、「世界最高峰からの景色を見てみたい」と。でも、このときは脳浮腫、肺水腫になり、途中で断念。自分の弱さと慢心を思い知らされた登山でした。ただ、死ぬ思いをした経験から、「なぜ自分はあんなことになってしまったのか」というテーマが生まれ、それが今の博士(医学)としての研究につながっているので、決してわるいことではなかったと思っています。

――そして今年の5月、3回目のチャレンジでした。

三浦:今回は父のサポートに徹しようと心に決めていました。80歳の父を登頂させることが、自分にとっての挑戦だと。それともうひとつ、父にはほんとうに感謝しているんです。一般に、脳浮腫、肺水腫になった人間は、同じ状況になると再発しやすいといわれています。でも、父は「一緒に行かないか」と誘ってくれ、最後まで僕を信じて、頂上まで連れて行ってくれた。08年の自分を克服するチャンスを与えてくれたんです。

プロスキーヤー・医学博士 三浦豪太さん
エベレストの模型を使って、登頂ルートを説明してくれる

父親はパートナー

―― 豪太さんにとって、雄一郎さんはどんな存在ですか。

三浦:昔はライバル心みたいなものもありました。でも、今はパートナーという感じです。父がなにかやろうとするとき、まっ先に相談するのが僕なんです。あてにされていると思うとうれしいし、僕も父が登る山には一緒に登りたいなと。

――子どものころ、お父様を「相棒」と呼んでいたそうですね。

三浦:いみじくも今、その言葉通りになっていますね(笑)。

――雄一郎さんも父・敬三さん(※3)のことを「友人としてみてもいい男」と著書で書いています。三浦家は代々、不思議な親子関係を築いていますね。

三浦:やはり同じ風景をずっと一緒に見ていると、そういう風になるんじゃないでしょうか。

※3│三浦敬三。日本スキー界の草分けで、青森県八甲田の開拓者としても知られる。99歳のときモンブラン山系の氷河を滑降。101歳で亡くなるまで生涯現役だった。

――豪太さんにも5歳の息子さんがいらっしゃいますが、一緒に山に登ったりは?

三浦:しています。今週末も八ヶ岳の硫黄岳に行く予定です。息子はサッカーや空手もやっていますが、山にいるときがいちばん生き生きと楽しそうにしています。きっと山の自由さが性に合っているんでしょうね。

――親子登山の魅力ってなんですか。

三浦:家族でひとつのテーマをもつことは、みんなが同じ方向を向いて、思いを共有できるじゃないですか。それは旅行やほかのスポーツでも同じですが、とくに登山の場合は山頂というわかりやすい目標があるし、自然を相手にするその過程で子どもだけじゃなく、親も一緒になにかを学ぶことができます。家族みんなで楽しむことができる。それが魅力だと思います。

エベレストでは、兄が通信を、姉がマネージメントを担当し、僕が父の登山をサポートする。みなの力が結集した、まさに究極の親子登山でしたね。

――息子さんには、今後も山やスキーをやってほしいと考えていますか。

三浦:必ずしもそうは思っていません。ただ、僕は登山やスキーを通じて、人生の宝物といえるものをたくさん得てきました。懸命に努力をした先には、それに見合うものが必ずあるんです。だから、息子にもそのことは知ってほしい。そして、もし息子が山やスキーをやってくれたら、僕は彼と一緒に、同じような困難を同じように共有していきたいと思っています。

プロスキーヤー・医学博士 三浦豪太さん

写真=田中由起子  取材・文=谷山宏典


あわせて読みたい!三浦豪太さんについての1冊

『父の大きな背中』 三浦豪太

三浦雄一郎という偉大な父からの影響を大いに受けながら、スキーヤーとして自らの道を切り拓いてきた豪太さん。雄一郎さんの著書に三浦家の子育て論は多くありますが、その型破りな教育を受けてきた豪太さんがどんな気持ちで生きてきたのか。ひとりのアスリートとしてオリンピックに出場するまでの努力や葛藤、そして親と一緒に大きな夢を追う今。子育て世代の参考書というだけでなく、子供がいない方でも自らがひとりの子供として、今後の親との関係性について見直せる本でもあります。

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