フリーペーパー『山歩みち』2013年夏 012号掲載
※この記事はフリーペーパー『山歩みち』に掲載されたものに一部加筆、修正を加えたものです。基本的には取材時の内容となっておりますので予めご了承ください。
Profile ※2013年時点
レオ・ホールディング 1980年英国生まれ。エクストリームスポーツの最先端にいる世界的なクライマー・冒険家。12年ベネズエラのアウタナ山で「The Lost World」初登攀、13年南極大陸のウルヴェタナ北東稜初登攀など。バーグハウス所属のアスリート。
英国出身のプロクライマー、レオ・ホールディング。彼の活動は極めてユニークだ。地球上の辺境地において数々のビッグウォールクライミングを成し遂げてきただけではなく、登攀の様子を撮影して映画を制作したり、学校の教育プログラムに関わってきた。何が彼をそうした多彩な行動へと駆り立てるのだろうか?
勇敢さと無謀さの境界線とは?
――今年のはじめ、南極のウルヴェタナ北東稜(※1)を初登攀されましたね。南極でのクライミングはいかがでした?
レオ:まず南極という土地がすばらしかった。周囲一千キロ以上にわたって何もなく、白い砂漠のように、ただただ雪原が広がっているだけ。とても孤独で、日常から隔絶されている感じがしました。また、われわれが訪れたのは白夜の季節で、一日中太陽が沈まず、暗くなることがない。まさに別世界という言葉がぴったりくる場所でしたね。
北東稜は、全長が1750mもあり、美しく、困難で、そして壮大なルートでした。印象的だったのは、「恐竜の背骨」と呼んでいたセクション。斜度45度、幅1mほどのリッジで、技術的には難しくないのですが、両側が500m以上の切れ落ちた崖になっています。ものすごくワイルドで危険な箇所でした。
※1:ウルヴェタナは南極大陸にそびえる標高2931mの岩峰。ノルウェー語で「狼の牙」の意。
――寒さも相当ですよね?
レオ:頂上をめざす日、マイナス35℃という最低気温を記録しました。そこまで寒いと、勇敢さと無謀さの境界が極めて曖昧になります。勇気をもって困難にチャレンジして成功を勝ち取りたいけど、事故を起こしたり、凍傷になったりするのは避けなければいけない。実際、「寒いから下りよう」という意見もありました。そのときは「あと1時間だけ頑張ろう」と話し、結果として頂上に到達することができましたが、判断は非常に難しかった。
――勇敢と無謀をわける一線を、どう判断しているのですか?
レオ:白黒という明確な線引きがあるわけではなく、白と黒の間にはそれこそ数百万段階ものグラデーションがあるんです。しかも、その線はまっすぐではなく、細くてぐにゃぐにゃと曲がっている。つまり、瞬間瞬間で状況はめまぐるしく変わり、「正しい判断」も流動的になります。
たとえば、「マイナス35℃で午後4時になったから、下山しよう」という単純なものではない。目の前の状況に対して自分はどう感じているか。メンバーの様子はどうか。ゴールまではあとどれだけ残っており、安全圏からどれだけ離れているか…過去の経験を踏まえ、あらゆる状況を考慮したうえで、進むか、退くかを決めるんです。
そして、ひとたび判断を下したら、自分の経験と判断に絶対の信頼を置かなければならない。こうしたプロセスが、クライミングの醍醐味なんです。
クライミングと映画制作は相反する
――ウルヴェタナのトレーラー映像(※2)を拝見しました。あなたのチームはこれまでにも『ジ アスガルド プロジェクト』、『アウタナ』(※3)などのクライミングムービーを制作してきました。なぜ映画の撮影を?
レオ:登山の安全を考えれば、行動のスピードは重要な要素です。一方、撮影――ショートフィルムやブレブレの映像ではなく、映画としての物語性を備えた、クオリティの高い映像を撮るには時間がかかります。クライミングの成功と映画の撮影は、相反する行為なんです。両立させるには、普通に登るよりも2倍以上の労力がかかります。
それでも撮影をするのは、多くの方に私たちが目にしたマジカルな光景を見てもらい、自分もそこを登っているようなエキサイティングな感覚を味わってほしいからです。ただ登って下りてくるだけではない。最高レベルの映像を持ち帰ってくることは、私たちにとってもチャレンジであり、プロクライマーとしての役割だと考えています。
※2:映像はPosing ProductionsのHP(http://www.posingproductions.com)にアップされている。
※3:『ジ アスガルド プロジェクト』は、09年カナダ・バフィン島のアスガルド北壁初登攀の過程を追った映画で、日本語版DVDあり。『アウタナ』は、12年ベネズエラのアウタナ山「The Lost World」初登攀の映画で、日本公開および日本語版DVDの発売は未定。英語版のダウンロードは上記Posing ProductionsのHPにて。
――個人的にはアウタナの洞窟の映像に心奪われました。
レオ:洞窟の存在は下から見て確認していましたが、あれほど巨大で神秘的な場所だということは、登ってはじめてわかったんです。しかもある日、まるで異世界のようなその洞窟の中で蝶が舞っていました。その光景は現実のものとは思えないほどに美しかったですね。
私が秘境の地でクライミングを続けるのは、単に山のてっぺんに登るというだけではなく、そうした美しい瞬間に出会うためでもあるんです。何十年後、歳をとったとき、記憶に鮮烈に残っているのは、もしかしたら山の頂上のことではなく、アウタナの洞窟を舞う蝶や、そこから眺めた日の出など、冒険を通じて出会えた美しい光景かもしれません。
――ウルヴェタナでは、英国の学校の子どもたちがチームの状況をライブで見守るというプログラムも実施されていますね。
レオ:ええ。出発前には、遠征登山のノウハウ――登ることだけではなく、用具の開発、食料のカロリー計算、物資の手配、過酷な自然環境への対応方法など――を学習教材として活用するアイデアをプレゼンしました。そして帰国後、ふたたび学校を訪れ、子どもたちが実際にどんな学習をしたのか、発表してもらったんです。
彼らの話を聞いて、とても感動しましたね。というのも、自分たちのクライミングが、子どもたちに対してさまざまなインスピレーションを与えられたことが実感できたからです。今回のことを通じて、人生が変わった子も何人かいたはず。今振り返れば、クライミングに成功したことよりも、こうした子ども向けのプログラムを実施できたことのほうが、重要な成果だったとさえ感じています。
――最後にシンプルな質問をひとつ。あなたにとってクライミングとは?
レオ:マイライフ、人生そのものです。シンプルな質問には、シンプルな答えがベストですよね(笑)。
写真=加戸昭太郎 取材・文=谷山宏典
あわせて観たい!レオ・ホールディングスさんの映像
インタビューの中に出てくるクライミングムービーは、Posing Productionsのホームページでレンタルまたは購入して観ることができます。しかし、彼らのやっていることはクライミングの範囲を超えて、もはやアドベンチャーです。スカイダイビングをしたり、ジャングルの密林を進んだり、困難の果てにたどりついた秘境でのクライミング。彼らにしか撮影できない映像であることは間違いありません。
『ジ アスガルド プロジェクト』
『アウタナ』